ながら立ち止まっていると、落葉の音だけをあとに残してその文使いは自分の傍を過ぎていってしまう。突然、亡き愛人と逢った日の事などが苦しいほど胸をしめつけてくる。
そういう情景がいかにもまざまざと目の前に蘇《よみがえ》って来るようであります。それだけで好い。その軽の村がどういうところであるかも、その歌がおのずから彷彿《ほうふつ》せしめている。その藤原京《ふじわらきょう》のころには、京にちかい、この軽のあたりには寺もあり、森もあり、池もあり、市《いち》などもあったようであります。その死んだ愛人などもよくその市に出て、人なかを歩いたりしたこともあったらしい。そしてその路からは畝傍山がまぢかに見え、そのあたりには鳥などもむらがり飛んでいたのでありましょう、――今もまだその軽の村らしいものが残っております。その名を留めている現在の村は、藪《やぶ》の多い、見るかげもなく小さな古びた部落になり果てていますが、それだけに一種のいい味があって、そこへいま往ってみても決して裏切られるようなことはありません。
低い山がいくつも村の背後にあります。そういう低い山が急に村の近くで途切れてから、それがもう一ペん
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