。これはなかなか面白い現象のようです。勿論、それには他からの原因もいろいろあったでしょう。だが、そういう現象を内面的に考えてみても考えられないことはない。つまり、そういう精妙な古墳をつくるほど頭脳の進んで来た古代人は、それと同時にまた、もはや前代の人々のもっていたような素朴な他界信仰からも完全にぬけ出してきたのです。――一方、火葬や風葬などというものが流行《はや》ってきて、彼等のあいだには死というものに対する考えかたがぐっと変って来ました。それがどういう段階をなして変っていったかということが、万葉集などを見ているとよく分かるような気もちがします。……
たとえば、巻二にある人麻呂の挽歌。――自分のひそかに通っていた軽《かる》の村の愛人が急に死んだ後、或る日いたたまれないように、その軽の村に来てひとりで懊悩《おうのう》する、そのおりの挽歌でありますが、その長歌が「……軽《かる》の市にわが立ち聞けば、たまだすき畝傍《うねび》の山に鳴く鳥の声も聞えず。たまぼこの道行く人も、ひとりだに似るが行かねば、すべをなみ、妹《いも》が名呼びて袖ぞ振りつる」と終わると、それがこういう二首の反歌でおさめられ
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