描きちらされてある村の子供のらしい楽書を一つ一つ見たり、しまいには裏の扉口からそっと堂内に忍びこんで、磚《せん》のすき間から生えている葎までも何か大事そうに踏まえて、こんどは反対に櫺子の中から明るい土のうえにくっきりと印せられている松の木の影に見入ったりしながら、そう、――もうかれこれ小一時間ばかり、此処でこうやって過ごしている。女の来るのを待ちあぐねている古《いにしえ》の貴公子のようにわれとわが身を描いたりしながら。……

[#地から1字上げ]夕方、奈良への帰途
 海竜王寺を出ると、村で大きな柿を二つほど買って、それを皮ごと噛《かじ》りながら、こんどは佐紀山《さきやま》らしい林のある方に向って歩き出した。「どうもまだまだ駄目だ。それに、どうしてこうおれは中世的に出来上がっているのだろう。いくら天平好みの寺だといったって、こんな小っちゃな寺の、しかもその廃頽《はいたい》した気分に、こんなにうつつを抜かしていたのでは。……こんな事では、いつまで立っても万葉気分にはいれそうにもない。まあ、せいぜい何処やらにまだ万葉の香りのうっすらと残っている伊勢物語風なものぐらいしか考えられまい。もっと思
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