どうしてもこれを書いてしまはなけれは他のものには手がつかないやうな氣持だつた。
私はそれを書き上げた翌日、上野の美術館にフランス繪畫展覽會を見に行つた。そして私はたくさんの騷がしい乾いた印象しか受けないやうな繪の前を通り過ぎた後、一枚の大きなパステルの前までくると、そこに三十分ばかり私は釘づけにされた。その畫面一ぱいに何だか得體の知れぬ壞れたものがごたごた[#「ごたごた」に傍点]に積み上げられてゐる間から、或る不思議な靜寂がひしひしと感じられてくるのだつた。そして私にはその苦しさうな古代的靜けさのみがひとり眞實なもののやうに感じられ、それだけが現代にしつかりと根を張つてゐるやうに思へた。それはジォルジオ・デ・キリコの「戰勝標《トロフェ》*」だつた。
「こんな繪を見せられちやたまらないなあ――」
昂奮してその繪の前を去りながら、私はただ溜息をついた。私はひどく疲れたやうな氣がした。そしてなんだか急に自分の書き上げたばかりの作品があまり性急で、あまり乾いてゐるやうに思へだした。
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* そのキリコの繪と向ひ合つてピカビアの數枚の繪が並んでゐた。ピ
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