私は俗《バナル》な小説を二つばかり書いた。
 夏のはじめに、ふと口に頬ばつたボンボンの味が、ながいこと忘れてゐた夏休みの樂しさだとか、悲しみだとかを、私のうちにまざまざと蘇らせた。輕井澤のホテルに飛んで行つて、私はせつかちにその思ひ出を書取つた。
 秋になつた。ジョルジュ・ガボリイの「マルセル・プルウストに就いてのエッセイ」を讀んだ。ガボリイは、すでに死に瀕してゐたプルウストの代りに「ソドムとゴモル」や「囚はれの女」の校正をした時のことなどを物語つてゐる。これを讀んでゐたら私は急にその二つが讀みたくなつた。
 私は「ソドムとゴモル」を讀み出した。が、すぐにそれを放棄しなければならなかつた。秋には定期的に出る熱がまたしても私を襲ひ出したから。
 一月ばかり私はぢつと寢てゐた。そして僅かに「※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ルヘルム・マイステル」などを讀んだ。
 冬になつた。私の二十代はそんな空虚のまま、この冬のうちに閉ぢようとしてゐた。
 私は再びせつかちに私の二十代の最後の小説にとりかかつた。それが私の過去の作品の無意味な繰返しになりさうなことは自分にも分つてゐた。しかしその時は
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