近郊をヴィユパリジス夫人などと共に馬車を駆らせてゐる間に、彼は三本の樹木を認める。「私は三本の樹木を見つめた。私はそれを十分に見ることが出來た。しかし私の心にはそれらが何かしら得體の知れないものを隱してゐるやうに感じられた。……私はどんなにか一人きりになつてしまひたかつたらう。……さうしなければいけないやうにさへ私には思へた。私は一種特別な悦びを覺えてゐたけれども、それはもつともつとそれに就いて考へるやうにと私を強ひたのだ……」
 しかし馬車は遠ざかつて行く。
「馬車は私がそれのみ眞實であると信じてゐたものから、私を眞に幸福にさせもしたであらうものから、ずんずん私を引き離して行つた。……私はまるでひとりの友人を失つたやうに、自殺をしたやうに、ひとりの死人を知らない振りをしたやうに、神を否認したやうに、大へん悲しかつた。」
 第五の場合も同じバルベックである。アンドレエといふ女友達と一緒に散歩をしてゐるうちに、
「突然、とある凹んだ小徑で、私は幼時のやさいし思ひ出に心臟をしめつけられて立止つた。私は私の足許にまで延びてゐる、擦り切れた、艶のある葉によつて、もうすつかり花の落ちつくした山査
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