》にあたっているペテロの方をふりむいて見る、するとペテロは急にイエスに言われた言葉を思い出し、はっと我に返って、庭の外へ出ていって、暗がりのなかではげしく泣き出すのだね。チェホフの短篇の話をきいて、ここのところを読むと、なんだかこう一層、そのときのペテロの慟哭《どうこく》が身ぢかに感ぜられて来るようだな。
 学生 僕はこの短篇を読んだときにも思ったのですけれど、このペテロの話にしろ、いつかお書きになっていたエマオの旅びとの話にしろ、そんな縁遠いような物語がおもいがけず僕らの身ぢかに迫って来て、妙に感動させられることがあるのですが、それに反して日本の古い物語はいかに美しく、なつかしいと思っても、それだけの強い力がないような気がするのです。何か fatal なものの前にわれわれを無気力にさせてしまいます。そのチェホフの短篇は、まず、森のなかのもの寂しい自然の描写ではじまっています。チェホフの筆だと其処が非常に美しいんですが、そういうもの寂しい自然がすっかりその学生の心をめいらせているのです。――そんなものからチェホフは小説を書きはじめていますが、日本のいいものはそれとは反対に、一番最後にそ
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