も、一昔前までは、よく鹿の啼《な》きごえが聞えたそうだ。
 学生 僕はこの間、チェホフの「学生」という短篇をよみました。復活祭で帰省していた一人の学生が、或日――北風の吹いている、寒い日でしたが、なんだか此の世にはいつの時代にもこんな風が吹きまくっていて、そこには無智と悲惨としか見られないような考えを抱いて、非常にうち沈んだ気もちになって、散歩から帰つて来ると、もう暮れがたで、隣り村の或農家の中庭では焚火《たきび》をしている。みると、それは昔自分の乳母だった寡婦と、その不しあわせな娘なので、学生はしばらくその焚火にあたらしてもらっているうち、急に使徒のペテロも丁度こんな風に焚火にあたっていたんだろう、と思い出し、それからペテロが鶏の啼くまえに三たびクリストを否《いな》んだ物語をその二人の女に向って話しはじめる。女たちは黙って聞いていたが、そのうち急に二人とも泣き出してしまう。学生はそこを立ち去りながら、なぜ彼女たちは泣いたのだろうかと考える。別に自分がその話を感動的に話したからではない。それはきっとその話のペテロに起った出来事が、彼女たちにも、又、自分にもいくらか関係しているからなんだ
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