から聞くのに追われて、山奥なぞのつれづれな炉ばたで人にときどきふと思い出されては漸《ようや》く忘却から蘇《よみがえ》らされて来たような、そういう昔話の残っていないのも当然だろうじゃあないか。
学生 そうかも知れませんね。しかし、まだ二つや三つはそんな話もありそうな気がしますね。
主 そう、ありそうな気もする。ところが、ありそうで無いんだ。なんにも無いくせに、そんな雰囲気だけはもっている――そこがまあ現在のこの村の一種の持味で、僕なんぞにはかえってぴったりしているのだろうと思う。こんなに荒廃して、それがそれなりになんとなく錆《さ》びて落ち着いてきている、そんなところからそういう一種の味が出ているのだろうね。だから、つまらないことまで、妙に生き生きとして感ぜられて来ることもある。僕がはじめてこの村に来た当時のことだが、或日、昔の屋敷跡らしい大きな石崖のうえに立って、秋らしい日ざしを浴びながら、病みあがりらしくぼんやり蓼科山《たてしなやま》の方をながめていた。その晩、宿の主人がいうのに、そのときそうやって石崖のうえに立っていた僕の姿を遠くから見かけて、ふと子供のときに見た一匹の傷ついた鹿
前へ
次へ
全14ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング