ているのでしょうかしら?
主 いるらしい。このごろは冬になると、僕はからきし意気地《いくじ》がなくなって、ちっとも雪の中を歩かないが、二三年前にはそんな足跡をいくつも見たことがある。しかし、いたって、もうたかの知れたもんだ。せいぜい農家の鶏を盗《と》りにくる位なものだろう。
学生 いつだかお書きになっていた、昔、武家に切り殺された、この宿《しゅく》の遊女の墓に夜ごとに訪れてくる老狐の話――なんでもその墓にひとりでに罅《ひび》が入って、ちょうど刀傷のように痛いたしく見えた、その傷のあたりをその狐が舐《なめ》て[#「舐《なめ》て」は底本では「舐《なめ》めて」]やっていたとかいう話でしたね。――あれはこの村の話なのですか?
主 この村ではないが、隣りの村の古老にきいた話だ。ハアンでも好んで書きそうな話だ。ああいう話が残っていたら、もっと聞きたいものだが、あまり無いようだね。どうもこういう古駅には一たいに昔話なぞが少ないのではないかね。維新前までは茶屋|旅籠《はたご》がたてこみ、脇本陣だけでも遊女が百人からいたという、名高い宿《しゅく》のあとだもの。その日その日にちがった話を諸国の旅びと
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