ろところ道もなき山路にさまよひて」という前書がある。そんな山のなかで、鷲の巣らしいものがかかっている、大きな楠の枯れ枯れになった枝を透いて日が真赤になってくるめき入る光景だろう。鷲の巣は見たことがない、しかし、楠の老木は嘗《か》つて見たことがある。上信国境にある牧場のまんなかに、その大木がぽつんと一本だけ立っていた。その孤独な姿がいかにも印象的だった。そういう記憶があるせいか、この凡兆の句にある楠も、僕には、そんな山のなかに他の木《こ》むらからも離れて、ぽつんと一本だけ立っている老木のような気がする。
 学生(目をつぶりながら)「鷲の巣の楠の枯枝に日は入りぬ」――凄いなあ。
 主 そんな句がみごとに浮ぶこともある。かとおもうと、随分くだらないことを思い出して、いつまでもひとりで感傷的な気分になっていることもある。或日などは、昔、村の雑貨店で買った十銭の雑記帳の表紙の絵をおもい浮べていた。雪のなかに半ば埋もれて夕日を浴びている一軒の山小屋と、その向うの夕焼けのした森と、それからわが家に帰ってゆく主人と犬と、――まあ、そういった絵はがきじみた紋切型の絵だ。或日、その雑記帳を買ってきて僕がな
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