者もあまり居ないらしく、そしてその裏側はすぐ一面の雑木林になっていた。彼の病室からはベッドに寝たままで、開け放した窓を丁度よい額縁にして、南アルプスのまだ雪に掩《おお》われているロマンチックな山頂が眺《なが》められた。
彼の病室には南向きの露台が一つついていた。其処《そこ》からならばS湖も見えるかも知れないと思って、そこまで出て行った彼はそれらしい方向には一帯の松林をしか見出《みいだ》さなかった。が、その代りに彼は其処から、下の方の病棟のあちらこちらの露台に裸かの患者たちが日光浴をしている有様を一目に見ることが出来た。みんな樹皮のような色の肌《はだ》をしながら、海岸でのように愉《たの》しそうに腹這《はらば》いになっていた。
彼の想像はそういう人達と同じように日光浴をしている裸かの彼自身の姿を描いた。そして「わが骨はことごとく数うるばかりになりぬ」そんな文句を彼はふとつぶやいた。それはかの老人が彼のために読んでくれた聖書の中の一句だった。いちばん何でもないような文句を覚えていたものと見える。「わが骨はことごとくか……」それはいつの間にか話し相手のない彼の口癖になってしまった。
夕方
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