おいた。だが、或る日のこと、いくらか気分のよかった彼はその原因を調べてやろうと思い立った。そこの樹蔭は奥へ行けば行くほど彼が名前も知らないような雑草が茂るがままに茂っていた。これはきっとこの雑草の中に何か特別な香《かお》りを発するものがあって、それが彼の記憶を刺戟《しげき》するのかも知れないぞと思った。そこで彼はこの雑草のなかを鼻孔をひろげながら出たらめに歩き廻ってみた。なるほど、何かが特に強く匂《にお》っている。――それを嗅いでいると、なんだか気持がすうすうしてくる。おや、おれはまた脳貧血をやりそうだぞ、と彼がちょっと錯覚を起しかかったくらい、その香りは彼の発作の直前の気持を思い出させる。こいつだな、と思って彼はその香りをたよりに、その香りの生じていそうなところをむき[#「むき」に傍点]になって捜したけれど、それが一面に茂っている雑草のどの辺であるのかすら一向に見分けがつかなかった。だが、その香りは何処かしらからますます鮮明に匂ってくる。彼はそこにぼんやり佇《たたず》んだまま、何となく自分が盲目になったような感じさえ持ち出した。……
 だが、彼は遂《つい》にその香りの正体を捜しあてた
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