き彼は、例の子供の椅子に関する彼の意見を叔母に話したい欲望を感じた。探偵小説ばかりを読んでいるせいか、他人の身の上などを空想することの好きな叔母はことによると彼よりもっと細かな観察をしているかも知れない。彼はしかしそれを言うのを止《や》めた。彼には卓子の向側にいる叔母に向って普通より大きな声で話しかけなければならないのが物憂かったのだ。
一種の神経衰弱に罹《かか》ったところの病人は、二日も三日も平気で眠りつづけると言われる。数年前、彼はその軽いやつに罹ったことがあった。――その時の症状が思い出されてならないほど、この頃の彼はひっきりなしに眠たい。すこし我慢して起きていると眠気で床の上に倒れそうになる。病院での睡眠不足を一時に取戻そうとするがごとくに彼は眠りつづける。その病院では看護婦たちに持て余されたくらい神経質になった彼は、ここでは――このしっとりした落着きのある山荘のなかでは、そうして彼の叔母のクラシックな愛のなかでは、彼はまるで母親に抱かれた子供のように前後を知らず深い眠りに落ちた。事実、彼はここへ来てからもう何日になるのか、十日になるのか、二十日になるのか、それとも一週間
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