フりなエッセンスが――それを晩飯に食べた晩は、夜中ずつと、シェクスピアの夢幻劇《フェアリイ》みたいな詩的でばかばかしい笑劇《ファース》でも演ぜられてゐるかのやうに、私の尿瓶を香水瓶に變へてしまふところの、それほど風變りなエッセンスが、そのうちに認められるやうに私には思はれた。
[#ここで字下げ終わり]
皆さんに出來るだけお解り易いやうにと思つて大變意譯をしましたので、原文をひどく傷つけやしなかつたかと恐れてゐますが、――こんなお粗末な飜譯で見ましても、ともかくも、このセンテンスが非常に長いといふことだけはお解りになるでせう。一度讀んだきりでは、恐らく何が何やらお解りになりますまい。三度、四度と繰り返し讀んでゐるうちにやつとその意味が掴めるやうになる。そして初めて何んといふ豐富な形象《イマアジュ》がこの短い章句の中にぎつしりと詰め込まれてゐるかに驚きます。(こんな長たらしいセンテンスは殆ど毎頁に大きく寢そべつて居るのです。)――御覽のとほり、アスパラガスの描寫は唯二箇のセンテンスで了つてゐまして、それは豌豆のことを書いた比較的に短いセンテンスに先立たれてゐます。いきなりアスパラガスの描
前へ
次へ
全13ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング