高始めずに、先づ田舍家の臺所に這入りこんだ少年の「私」が、テエブルの上に轉がつてゐる豌豆を見ようと思つて立ち止りながら、それからふとその傍にあつたアスパラガスに目を止め、思はずそれにうつとりと見入る風に運ばれてゐます。さういふ不意打ちによつて、その少年のみならず、読者にもそのアスパラガスの美しさを一層生き生きと感じさせる。――かう云ふところにも、プルウストの常套的な手法の一つがあります。……で、そのアスパラガスを描かんとするや、先づその全體の色調《トオン》を述べます。それから、徐々にその穗先の細かなニュアンスに移つて行きます。と同時に、その獨得なニュアンスが一齊に喚び起すさまざまな記憶(曙の色合、虹の色合、夕暮れの色合)、そしてその一方では又、それを食べた晩のシェクスピアの夢幻劇のやうな記憶(匂ひの)までが其處に展開されてゐる。――かういふ工合に、プルウストは、一瞬間の感覺の喚び超すあらゆるものを殘らず、手荒いくらゐに、一つのセンテンスの中に一緒くたに縛りつけてしまひます。が、若しプルウストがそれだけのことをしかしなかつたのなら、彼の作品は遂に印象派の畫家たちの仕事を單に文字の上でし
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