Xトの場合には、その驚くべき冗漫さも已むを得ぬと我々に首肯せしめるだけの充分な理由があるからであります。「スワン家の方」の何處でもいいから開いて御覽なさい。例へば、ここにアスパラガスを描寫した數行があります。
[#ここから1字下げ]
私は、女中がいま莢《さや》を剥いだばかりの小豌豆が、テエブルの上に球ころがしの緑色の球のやうに澤山ならんでゐるのを見ようと思つて立ち止つた。しかし私がうつとりしたのはアスパラガスの前だつたのだ、――それはすつかり群青色《ウルトラメエル》と薔薇色とに濡れてゐて、その穗先は葵色《モオヴ》と空色とにうつすら染まりながら、まだ畑の土のこびりついてゐるその先端に行くにしたがつて漸々に、天上の虹のやうに暈《ぼ》かされてしまつてゐた。さういふこの世ならぬ色合《ニュアンス》のせゐか、私にはそのアスパラガスが、何んだか或る微妙な生物が面白半分にそんな野菜に變身してゐるやうな氣がし、そしてその變裝(食べようと思へば食べられる、硬い肉の)ごしにまるであの曙の生れようとしてゐるやうな色合、あの虹の下描きのやうな色合、青味を帶びた夕暮れの消えんとしてゐるやうな色合となつて、その風
前へ
次へ
全13ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
堀 辰雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング