俗的な自己滿足なのであらうと思はれる。――そしてそれだけが僅かにカトリック的だと云へば云へないこともないだらう。
A それがどうしてカトリック的だと云ふのだい?
B 僕に相變らず解つたやうな解らないやうな始末なのだが、まあ、さういつたものがカトリック的なのだとして置いて貰はうぢやないか。この問題は、もうすこしお預けだ。そのうちだんだん解るかも知れん。――ともかくも、さういふ問題は拔きにしても、この小説は素晴らしいものだ。この可哀さうな毒殺女の氣持のよく描けてゐることと云つたら! 恐らく讀者には、テレェズ自身よりも、彼女の夫を毒殺するに至るまでの心理が、はつきりと辿れるのだ。何故ならテレェズには、彼女自身のしてゐることを殆ど意識してゐないやうな瞬間があるのだが、さういふ瞬間でさへ、讀者は、彼女がうつろな氣持で見つつある風景や、彼女の無意識的な動作などによつて、彼女がその心の闇のなかでどんなことを考へ、感じてゐるかを知り、感ずることが出來るのだ。――こんな工合に讀者を作中人物の氣持のなかへ完全に立ち入らせてしまふなんて云ふのは、君、大した腕だよ。それがこれほどまでに成功してゐる例は滅多にあ
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