力だからだ。その力なくして、モデルをそつくりそのまま生かさうとすればするほど、モデルは靜物化する――モオリアックは、小説の技術といふものは、さういふ現實の「再現《ルプロデュクション》」ではなくして、現實の「|置き換へ《トランスポジション》」であるとしてゐる。つまり現實は單なる出發點たるに止め、作家はその漠然たる可能性を實現さすべきであり、その結果人生がとつたのとは反對の方向をとるのも好いとしてゐる。「テレェズ・デケルウ」もその一例で、少年の頃、重罪裁判所で見かけた一人の痩せた毒殺女がそのモデルになつてゐる。贋の處方箋で毒藥を手に入れることだけ、現實から直接に借りたが、現實はそこで打ち切られ、それから先きは、實際の女とは全然別な、ずつと複雜な性格に仕上げたのだ。實際は、その女の動機は甚だ簡單で、他に情人があつたからなのだが、小説の「テレェズ」では、彼女自身は、何が彼女をそんな犯罪にまで驅りやつたのか全然意識してゐなかつたやうに、悲劇が仕組まれてあるのだ。
A 何故その女は自分の夫を殺さうとしたか、作者も一切説明してゐないのか?
B 何處にも説明らしいものは見あたらない。ただ前にも云つたや
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