苦しい爭鬪になつてくるのだらうね。
A ぢや、さつき君の非難してゐた「フロオランス」などはどうなのだい?
B さう、あれはまるでぢつとしてゐる肖像畫みたいなのだよ。――才能の相違かな、作家としてのね。それが一番大きな問題だらう。――だが、それからもつと具體的な相違を抽き出して考へて見ると、例へばそれは兩者のモデルの扱ひ方にあるのだと思ふ。先づ、リヴィエェルの「フロオランス」だが、これには實在のモデルがあるのださうだ。一つにはそのモデルへの顧慮からも、發表をひかへてゐたのだが、そのモデルになつた女性が亡くなつたので、漸くこの遺稿が上梓されるやうになつたといふ話も聞いてゐる。それほど、リヴィエェルは、そのモデルを出來るだけそつくりそのまま生かさうとしたらしいのだね。生れつきさういふ性分であるらしい。批評の場合は、その對象に何處までも忠實について行かうとする、さういふ誠實さが誰にもましてリヴィエェルの批評の強味であり、屡※[#二の字点、1−2−22]それが見事な成功を收めてゐるが、小説の方はなかなかさうは行かないのだ。小説にあつては、リヴィエェルに最も缺けてゐるもの――想像といふものが大きな
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