動車の中で、しきりに思い出した。その声には夫人の無邪気な笑いがふくまれているようでもあった。また、やさしい皮肉のようでもあった。それからまた、何んでも無いようでもあった。……
※[#アステリズム、1−12−94]
翌日、彼が彼女たちの家を訪問すると、二人とも他家《よそ》へ、お茶に招《よ》ばれていて留守だった。
彼はひとりで「巨人の椅子」に登ってみようとした。が、すぐ、それもつまらない気がして町へ引きかえした。そして本町通りをぶらぶらしていた。すると彼は、彼の行手に一人の見おぼえのあるお嬢さんが歩いているのに気がついた。それは毎年この避暑地に来る或る有名な男爵《だんしゃく》のお嬢さんであった。
去年なども、彼はよく峠道や森の中でこのお嬢さんが馬に乗っているのに出逢《であ》った。そういう時いつも彼女のまわりには五六人の混血児らしい青年たちがむらがっているのであった。一しょに馬や自転車などを走らせながら。
彼もこのお嬢さんを刺青《いれずみ》をした蝶《ちょう》のように美しいと思っていた。しかし、それだけのことで、彼はむろんこのお嬢さんのことなどそう気にとめてもいなか
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