しまうのだ。そしてその瞬間までの、その心像《イマアジュ》が本当の彼女によく似ているかどうかという一切の気がかりは、忘れるともなく忘れてしまっている。それというのも、自分が彼女たちの前にいるのだということを出来るだけ生き生きと感じていたいために、その間中、彼はその他のあらゆることを、――果してその心像《イマアジュ》が本当の彼女によく似ているかどうかという前日からの宿題さえも、すっかり犠牲にしてしまうからだった。
しかし漠然《ばくぜん》ながらではあるが、自分の前にいる少女とその心像の少女とは全く別な二個の存在であるような気もしないではなかった。ひょっとしたら、彼の描きかけの「ルウベンスの偽画」の女主人公の持っている薔薇の皮膚そのままのものは、いま彼の前にいるところの少女に欠けているかも知れないのだ。
二つの写真のエピソオドが彼のそういう考えをいくらかはっきりさせた。
夕暮になって、彼はホテルへのうす暗い小径をひとりで帰っていった。
そのとき彼はその小径に沿うた木立の奥の、大きい栗の木の枝に何か得体の知れないものが登っていて、しきりにそれを揺ぶっているのを認めた。
彼が不安そうに
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