ように思われた。そしてもう一つの方は彼の空想の中の彼女に、――「ルウベンスの偽画」にそっくりなのだと思った。
しばらくしてから、彼は実物を見ないうちに消えてしまったさっきの古い茸のような色をしたヴィジョンを思い出した。
「乳母車というのはどれですか?」
「乳母車?」
夫人はちょっと分らないような表情をした。が、すぐその表情は消えた。そしてそれはいつもの、やさしいような皮肉なような独特の微笑に変っていった。
「その籐椅子のことなのよ」
そしてそのように和《なご》やかな空気が、相変らず、その午後のすべての時間の上にあった。
これがあれほど彼の待ちきれずに待っていたところの幸福な時間であろうか?
彼女たちから離れている間中、彼は彼女たちにたまらなく会いたがっていた。そのあまりに、彼は彼の「ルウベンスの偽画」を自分勝手につくり上げてしまうのだ。すると今度はその心像《イマアジュ》が本当の彼女によく似ているかどうかを知りたがりだす。そしてそれがますます彼を彼女たちに会いたがらせるのであった。
ところが現在のように、自分が彼女たちの前にいる瞬間は、彼はただそのことだけですっかり満足して
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