なく腹を立てた後で、ふと気がつくと、なんでもない事だろうと思っているうちに、急にすべての事がなんだか思いもよらない方へ往ってしまいそうな危惧《きぐ》が、其処には感じられないでもなかった。私はそれを感ずると、何がなし心の引き締まるような気もちがした。――そんなこちらの冷めたい返事にも、私の惧《おそ》れたとおり、頭の君はすこしもお懲りにならず、それどころか反って熱心に同じような御文をお寄こしになり出したのだった。もうそうなると、こちらではなるべくそれに取り合わないようにしているよりしようがなかった。
ところが、三月になり、或日の昼頃「右馬頭様がお出になりました」と言うことだった。突然だったのでびっくりしたが、私はすぐざわめき立った女房たちに「まあ静かにしてお出《いで》」とたしなめ、それを取次いだものには「好いから、いま、私達は留守だとお答えなさい」と言いつけた。
が、そうこうしているうちに、一人の品のいい青年が中庭からお這入りになっていらしって、目の疎《あら》い籬《まがき》の前にお立ち止まりになられたのが簾《みす》ごしに認められた。練衣《ねりぞ》を下に着て、柔かそうな直衣《のうし》を
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