のなかに幾人も見馴れた顔があった。「矢っ張、殿だ」と思いながらも、自分達の車のまわりで「あれはどなた様でしょうか……いままでの中でも一番御立派なようだ……」などと人々がざわめいているのをそれとなく耳に入れていると、こうして忍んだ姿で来ている自分達が一層みすぼらしいような気がされてきてならなかった。簾をすっかり捲き上げられたまま、きらびやかにお通り過ぎになって往かれたが、車上の人はまぎれようもなく、あの方だった。――が、まあ何ということか、あの方はすぐ目の前をお通り過ぎになられながら、その瞬間私達の車をお認めになられたかと思うと、ふいと扇で顔をお隠しになられて、そのまま其処を通り過ぎて往かれてしまったのだった。
車の奥ぶかくに自分と一しょにいた撫子にもそれは気がついたにちがいなかった。私がそれについては何んとも言わずに黙っていると、少女も心もち蒼いような顔をしながら、しかし車上の殿なんぞは見もしなかったような風をしていた。その少し蒼ざめた顔色は、家に帰るまで、直らなかった……
夕方、そんな事が知《し》らず識《し》らずの裡《うち》に帰りを早めた私達の車よりか、ずっと遅くなってから、道綱
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