あたりから、それに雑《まじ》って、つい今しがた少女の習い出したらしい琴の幼い調べが途絶えがちに聴えて来る。――私はふとこんな美しい春の夕をさえあの御方はまあ山里にお一人でどうして入らっしゃるだろうかと思いやった。あたりのいかにも充ち足りたような、懶《ものう》い位の、和《なご》やかさが、反ってそういう悲しみの多い人のお気の毒な身の上を、その一々の悲しみをまで、残酷なほど鮮かに、生々《いきいき》と私に描かせていた……
この春は、祭や物詣《ものもうで》などにその少女が珍らしがって往きたそうにしているので、そう若いものばかりだけを出してやることも出来ないので、私も連れ立って一しょに出かける事もつい多かった。
しかし又春の末からは何かと物忌が重なり、家に閉《と》じ籠《こ》もりがちだったけれど、去年までは家の柱などに御守札などを押し付けてあったりするのを目に入れると、この夢ほども惜しいと思われない生をさも惜しんでいるかのような気がされて、自分らしくない事だと心苦しかったが、今年はどういうものか、そう云う厄除《やくよ》けのようなものすら無関心に見過ごされ、何事もないように静かに忌にこもっていら
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