いたような事を仰ゃるものだから、こんどは私も少しばかり気色を顔に出して、「それほどのお気持がおありなさいますかどうか、今後に試めさせていただきます」と応じた。
 そんな小さな事から、又いつものように不和が高じそうになって来たので、殿はすこし気むずかしい顔をなすっていられたが、やがてこないだの少女が呼ばれて来ると、やっと又上機嫌になられて、側にお呼び寄せになり、髪などを撫でられながら、「この子には手習や歌なんぞよく仕込んでやってくれ。そういう事は、お前になら任せて置けるからな。――まあ、もうすこうししたら、向うの家の奴なんぞと一しょに裳着《もぎ》の祝をしてやろうよ」などと愉《たの》しそうに御相手をせられていた。そのうち日が暮れ出したので、「おなじ事なら院へ参ろう」と言い出され、又皆を騒がせて車にお乗りになり、帰って往かれた。
 殿をお見送りした後、一人ぎりになって、私はそのままいつまでもその暮れようとしている庭面《にわも》をぼんやりと見入っていた。一種言うに言われないほどの好い匂が、ときおりその夕闇のなかに立って、それがまだ鶯なんぞを寐《ね》つかせないでいるらしい。西《にし》の対《たい》
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