では山を下りでもしたら罰があたるだろう。――どうだ、大夫、お前はこうしているのをどう思っているな」と傍にいた道綱をお振り向きになって尋ねられた。「大へん苦しゅうございますが、いたし方がござりませぬ」と道綱は打ち伏したまま答えた。「かわいそうに」とあの方は仰《おっし》ゃられながら「じゃ、とにかくお前がお母あ様に出ていただきたいと思われるなら、車をこちらへ寄こしてくれ」とお言いつけなさりも果てぬうちに、もうあの方はお立ちになったままで、そこいらに散らばっていた物なんぞを御自分で取り集められ出した。そうしていつの間にか其処に寄せられたお車の中へそれをみんな入れさせ、それからその居間に引いてあった軟障《ぜじょう》までも御はずしになり出していた。
 私が呆れて物も言えずにそれを見ていると、人々は互に目食《めく》わせしたりしながら、笑を含んで、そういう私の方を見守っているらしかった。「こうしてしまったら、此処をお出でになるより外はあるまい。まあ、み仏にもよくわけを申し上げると好い、それが作法のようだから――」などと、あの方は事もあろうにそんな常談まで仰ゃっていた。私はもう一と言も口がきけず、車の支
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