が悪くなってひどく苦しいので、山籠《やまごも》りしていた禅師《ぜじ》などを呼びにやって加持して貰った。夕ぐれになる頃、そんな人達が念誦《ねんじゅ》しながら加持してくれているのを、ああ溜《た》まらないと思って聞き入りながら、年少の折、よもやこんな事が自分の身に起ろうなどとは夢にも思わなかったので、そうなったならどんなだろうなどと半ば恐いもの見たさに丁度このような場合を想像に描いて見たことがあったが、いまその時の想像に描いたすべての事が一つも違わずに身に覚えられて来るようなので、何だか物《もの》の怪《け》でも憑《つ》いて、それが自分にこんな思いをさせているのではないかとさえ私は思わずにいられない位だった。

 それほど、まるで何かに憑かれでもしたかのように、私が苦しみながら山に籠っているのを、京では人々が思い思いにああも言いこうも言っているようだし、のみならず、この頃では自分が尼になったというような噂までし出して居るらしかったけれど、私は何を言われようとも構わずにいた。それが善いにせよ、悪いにせよ、こう云うような私をそっくりそのまま受け入れてくれるのは父ばかりだと思えたが、この頃は京にいら
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