ませ」などと書き添えていた。がそのうち、知《し》らず識《し》らずの裡《うち》に、あの方に対する自分の気もちがいつもほど苦くはなくなっているのに気がついた。そうしてあの方との事で今の自分に残っているものと云ったら、不思議に心もちのいい、殆ど静かな感じのものばかりであった。恐らく、私の身の極度の衰えがそういう静けさを自分の心に与えていたのでもあろうか。
そうこうしているうちに、六月の末頃からいくぶん物心地がついて来たようで、秋も過ぎ、冬になった時分にはもう大ぶ私も人心地がしてきた。その間に、あの方たちは新築した御邸の方へお移りなって往かれたが、私だけはやはり思ったとおり、この儘《まま》此処にこうしておれば好いと云う事になったらしかった。
が、そうなったらそうなったで、別にどうと云うこともありはしないのに、やっと恢復《かいふく》し出した私はその頃になって反って何だか気もちが落着かずにばかりいたけれど、十一月になってから雪がたいへん降った。そんな雪のふりつづいた頃、どうしたのか、まだ充分に癒《い》え切《き》っていなかったらしい身うちにめっきりと衰えが感ぜられ、世のさまざまな事、ことにあの
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