えてくれた。
そんな夢の吉凶などは自分にはわからないけれど、こうやって此処に記して置くのは、このような私の身の果てを見聞くだろう人が、夢とか仏などは果して信ずべきか否か、それによって決めるがよいとも思うからである。
五月になってから、私は物忌も果てたので、自分の家へ帰った。私の留守の間、すっかり打棄《うっちゃ》らかしてあったので、草も木も茂るがままに茂っていたところへ、程もなく長雨《ながさめ》になってしまったものだから、前よりも私の家は一そう鬱陶《うっとう》しい位であった。雨間《あまま》を見ては、お勤の暇々に、私も少しずつ手入れをさせ出していたが、そんな或日の事だった。私の家の方へあの方のお召車らしいのがいつものように仰々しく前駆させながらお近づきになって来られた。丁度その時私はお勤をしていたところだった。人々は「殿がいらしったようだ」などと騒ぎ出していたが、どうせいつものようなのだろうと思いはしたものの、私も胸をときめかせていると、やっぱりあの方は私の家の前はそのままお通り過ぎになってしまわれた。皆はもう物も言えずに、ただ顔と顔とを見合わせているばかりらしかった。私だけは何気なさそうに、さっきから止めずにいたお勤をなおも続けているようなふりをしていたが、しかし心の中には何かいままでについぞ覚えた事のないような、はげしい怒りにも似たものを涌《わ》き上がらせていた。――
六月の朔《ついたち》の日、「お物忌のようですから」と門の下から御文をさし入れていった。おかしな事をすると思って、披いて見ると、「もうそちらの物忌も過ぎただろうに、何だっていつまで余所《よそ》へ往っているのだ。どうもわかり難そうな所なので、つい伺わずにもいるが。――こちらの物詣《ものもうで》は穢《けが》れが出来たので止めた」などど書いてある。こちらへもう私の帰って来ている事を今までお聞きにならずにいる筈はないと思われるので、一層腹が立ってならなかったが、やっとそれを我慢して、「こちらにはずっと前から帰っておりました。そんな事なぞどうしてあなた様にお気づきなされましょうとも。わたくしの知った所なんぞとは違った、思いもつかないような所へしじゅう御歩きなされていらっしゃるのでしょうから。――何もかもみな、今まで生き長らえている私の身の怠りなのですから、いまさら何も申し上げようもござりませぬ」と返事を書いて持たせてやった。
本当にこんな風にときどき思い出されたように何か気安めみたいな事を言って来られたりなんかすると、反って私には辛くってならない。不意にでもあの方にやって来られて、またこの前のように侮やしい事もないとはかぎらない。こんな私なんぞは、いっその事これっきり何処かへひそかに身を引いてしまった方がいいのではないかしら。――「そう、それがいい、――そうだ、西山にはこれまでもよく往った寺があるけれど、あそこへ往って見よう。あの方の御物忌のお果てなさらぬうちに――」と私は突然思い立つなり、一日も早くと思って、四日の日に出かけることにした。
丁度その日はあの方の御物忌も明けるらしいので、気ぜわしい思いで、いろいろ支度を急がせていると、人々が上莚《うわむしろ》の下から何か見つけ出して「これは何でしょう」などと言い合っていた。ふと見ると、それはいつもあの方が朝ごとにお飲みなすっていた御薬が檀紙《たとうがみ》の中に挿まれたままになって出て来たのだった。私はそれを受け取って、その紙の上に「所詮生れ変らねばと思っては居りますけれど、何処ぞあなた様がわたくしの前を素通りなされるのを見ずにもすむような所がござりましょうかと存じまして、今日参ります。ああ、また問わず語りをいたしてしまいました」と書きつけ、その中に元のように御薬を入れて、道綱に「もし何か訊《き》かれそうだったら、これだけ置いて早く帰っていらっしゃい」と言いつけて持たせてやった。
それを御覧になると、余程あの方もお慌てなされたと見え、「お前の言うのも尤もだが、まあ何処へ往くのだか知らせてくれ。とにかく話したいことがあるので、これからすぐ往くから――」と折返し書いておよこしになった。それが一層せき立てるように私を西山へと急がせた。
その五
山へ行く途中の路はとり立ててどうと云うこともなかったが、昔、屡《しばしば》ここへあの方とも御一しょに来たことのあるのを思い出して、「そう、四五日山寺に泊ったことのあったのも今頃じゃなかったかしら、あのときはあの方も宮仕えも休まれて、一しょに籠《こも》って入らしったっけが――」などと考え続けながら、供人もわずか三人ばかり連れたきりで、はるばるとその山路を辿《たど》って往った。
夕方、漸《や》っと或淋しい山寺に着いた。まず、僧坊に落ちついて、あたりを眺めると、前方には
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