為すは、これ終身忘るる事能わざるべきなり。故に今日《こんにち》に於ても時々思い出す事あり。ああ此現状に遇するに於ては大満足たるや如何なる憂苦困難を重ねたるも、此れにて万難を打消すべきを感じたり。ああ世人は斯くの如きの実境を得る事を知らず、只空しく一身一家を固守するの人にては、予が此現状を得る事無き人に対して自ら誇るのみならず其人をあわれに思うなり。尚牛馬の多く群れたるを遥に見つつ河を渉《わた》る。(斗満川)。川畔《かわばた》に牛馬の脚痕《あしあと》の多きを見る。新《あらた》に柵を以て囲めるを見たり。ここに至りて尚うれし。進んで少し登りて行《ゆ》くに、樹間に小屋を見る。喜んで進んで着するに、片山夫婦谷利太郎は大に喜んで迎えらるるは実にうれし。然るに奇遇にも土人は鱒|弐尾《にび》を捕りたるを以て、調理して晩飯を喰《しょく》して眠《ねむり》につけり。此夜は恰《あだか》も慈母の懐に抱かれたる心地して、大安堵せり。
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小屋は四間《しけん》に六間にして、堀立柱《ほりたてばしら》に樹皮を屋根とし、草を以て四囲を構え、草を敷きて座敷とし、外《ほか》に便所一つあるのみなり。片山夫婦
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