更に甞て予が厚く信ずる処の二宮尊徳翁の霊位を藻岩村《もいわむら》二宮|尊親《そんしん》氏の家に至りて親《したし》く拝せん、且つ其遺訓をも拝聴し、及び遺書をも親く拝読せん事を切望し、尊親氏にも約する処あるを以て、此れを実行せば或は精神上に於けると転地療法とを二つながら全うせん事に决し、七月五日餘作同行にて発途。足寄橋にて別れて餘作が後貌《うしろすがた》を遥《はるか》に眺めて一層の脱力を覚えたるも、強《しい》て歩行し、漸く西村氏に泊す。此際に近藤味之助《こんどうあじのすけ》氏は学校に在勤して慰めくれたり。
然るに其後両日間は非常なる暴雨にて、休息し、晴れを待って発するに、センビリ川は増水して、漸く増人《ましびと》を以て渡る。其日|上徳《うえとく》氏に泊し、夫れより釧路に出でたるも、支庁長不在なるを以て書状を置き、帰路|白糠《しらぬか》軍馬補充部を一見して菅谷《すげや》氏に一泊し、温別にて海水に浴す。此際は汽車は浦幌《うらほろ》迄通ずるのみ。浦幌に泊し、豊頃《とよころ》に至る。前《ぜん》九時なり。此れより十勝川を渡り藻岩《もいわ》村に向わんとす。然るに昨日迄は満水にて渡船無きも、今日《こんに
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