為なし。行為なくんば意思なし気質なし。意思なく気質なくんば既に人物なし。人物なくして誰か小説を作るを得ん。鴎外、山口の二学士が小説に罪過説を応用すべからずと云ふは、横から見るも縦から見るも解すべからざる謬見《びうけん》と謂はざるを得ず。何となれば二学士は行為なき、人物なきの小説を作れと言ふものと一般なればなり。否《しか》らざれば二氏は木偶泥塑を以ツて完全なる小説を作れと命ずる者と一般なり。吾人は二氏が難きを人に責《せむ》るの酷なるに驚く。
 二氏は如何にして此《かく》の如き謬見を抱《いだ》きしや。吾人|熟々《つら/\》二氏の意の在《あ》る処《ところ》を察して稍々《やゝ》其由来を知るを得たり。蓋《けだ》し二氏は罪過説に拘泥《こうでい》する時は命数戯曲、命数小説の弊に陥るを憂ふる者ならん。何となれば罪過なる者は主人公其人と運命(運命の極弊は命数)との争ひを以て発表する者なればなり。若し果して然らば二氏は運命を適当に解釈するを知らざる者なり。運命とは神意に出《いづ》るものにもあらず、天命にもあらず、怪異にもあらず。古昔|希臘《ギリシヤ》人は以為《おもへ》らく、人智の得て思議すべからざる者是れ
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