そのうち、特に目立つのは、まだ年若い女が二人、並んで腰掛けている姿だった。一人は熱心なクリスチャンで、健康だった時分は小学校の教師であったという。いくらか面長な貌で鼻その他の恰好もよく、全体と調和がとれ、その輪廓から推《お》して以前はかなり美しい女であったに違いない。しかしいかんせん、すでに病勢は進み眉毛はなく、貌色が病的に白い。皮膚の裏に膿汁がたまっているような白さである。
 もう一人の女は、まだ二十二、三であろうと思われる若さで、全体の線が太く、ちょっと楽天的なものを感じさせる。貌の色は前の女とほとんど同じであったが、こちらはその白さの中になんとなく肉体的な魅力を潜めている。よく肥えていて、厚味のある胸や腰は、ある種の男性を惹《ひ》きつけねば置かないものがあるが、それは、いま腐敗しようとするくだものの強烈な甘さ、そういったものを思わせる。二人とも、もうほとんど失明していた。
 私は暗たんたるものを覚えながらも、ちょっとした充血くらいでこんなに不安を覚えている自分が羞《は》ずかしく思われた。みんな明日にも判らぬ盲目を前にして黙々と生きているじゃないか、死ねなかったから生きているだけじゃないかと軽蔑するのは易《やす》い、しかし生きているというこの事実は絶対のものでありそれ自身貴いのだ、とそんなことを考えるのだった。
 もう大分前のことだったが、私はこういう文字を読んだことがある。「癩者の復活など信じられないし――(むしろ死が美しく希《のぞ》ましい場合もある)――不健康な現実への無責任な拝跪《はいき》など、末期以外には感じられない。生というものはだいたい不健康な部分に対して仮借なく、審判し排除する物である」
 これを読んだあと、数日は夜も睡《ねむ》ることができなかった。この無慈悲な言葉が、私にはどうにも真実と思われたからである。しかし今はこんな言葉は信用しない。死が美しく希ましい場合など一つだってありはしないのである。私はまた理くつがいいたくなったようだが、それはやめにしよう。しかしただひとつだけいいたいのは、癩者の世界は少しも不健康ではない、ということである。これだけの肉体的苦痛、それを背負って、しかも狂いもせず生きているということは、それだけでも健康、何ものにも勝って健康である証拠ではないか! 肉体的不健康など問題ではない。また右の言葉を吐いた人も肉体上の不健康などを問題にするほど頭の下等な人ではないことを信じている。ドストエフスキーは癲癇《てんかん》と痔と肺病をもっていたのである。そのうち、呼ばれたので私は暗室の中へはいった。学校を出たばかりと思われる若い医者は、
 「どうしたのですか」とまだ私が椅子《いす》にもつかないうちにいった。
 「いや、ちょっと充血したものですから」
 「そう。どれどれ。ふうむ、大分使い過ぎましたね」瞼をひっくり返し、レンズをかざして覗《のぞ》き込みながらいった。「少し休むんですね。疲れていますよ」
 私は洗眼をしてもらい、眼薬をさしてもらって外へ出た。出がけに医者は白いガーゼと眼帯をくれた。私はその足ですぐ受付により、硼酸水と罨法《あんぽう》鍋とを交付してもらって帰った。

 私は生まれて初めての眼帯を掛けると、友だちを巡って訪ねた。
 誰でもこの病院へ来たばかりのころは、周囲の者がみなどこか一ヶ所は繃帯を巻いているので、自分に繃帯のないことがなんとなく肩身の狭いような感じがして、たいして神経痛もしないのにぐるぐると腕に巻いてみたり足に巻いてみたりして得意になる。奇妙なところで肩身が狭くなるものだ。まるきり院外にいたころとは反対である。私が友だちのところを巡ったのも幾分そんな気持に似たところがあった。眼帯など掛けたことのない俺が掛けているのを見ると、みんなびっくりしたり、珍しがったりして色々のことを訊くに違いない――と。たあいもないことであるが、我ながら眼帯を掛けた自分の姿が珍しかったのだ。
 友人たちは案の条珍しがって色々のことを訊いた。
 「おい、どうしたい。眼帯なんか掛けて、ははあまた雨を降らせるつもりだな」
 「うん? 充血した。そいつあいけない。大事にしろよ。盲目になるから」
 「はははは、いい修業さ」「そろそろいかれ[#「いかれ」に傍点]始めたかな。もうそうなりゃしめたもんだ。確実に盲目《めくら》になるからな。今のうちに杖の用意をしとくんだなあ。俺、不自由舎に識り合いがあるから一本貰って来てやっても良いよ」
 みんなはそんな風なことをいって、私をおどかしたり笑ったりした。私はわざと大げさに悲観している風を見せたり、盲目、そんなもの平気だ、と大きなことをいったりした。しかし内心やはり憂鬱で不安でならなかった。そして片眼を覆うということがいかに不快極まるものであるかを思い知らされたの
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