てんごく》へ行《ゆ》く、悪国《あくこく》へ堕《おち》ると云《い》ふ、何方《どちら》が本当だか円朝《ゑんてう》には分《わか》りませんが、地獄《ぢごく》からどうせ郵便の届《とゞ》いた試《ため》しもなし、極楽《ごくらく》の写真《しやしん》を見た事もないから、是《これ》は有《あ》るか無《な》いか頓《とん》と分《わか》らん事で、人が死んで行《ゆ》く時は何《ど》んなものか、此《こ》の肉体《にくたい》と霊魂《たましひ》と離《はな》れる時は其《そ》の霊魂《たましひ》は何処《どこ》へ去《ゆ》きますか、どうも是《これ》は分《わか》らん。此等《これら》の事を考へなければ本当の智識《ちしき》とは言へんと云《い》ふ事ださうでございます。随分《ずゐぶん》彼《あ》の悟道《さとり》の方《はう》には、「ガンコウ地に堕《おち》んと欲《ほつ》する時そもさんか何《いづ》れの処《ところ》に達《たつ》せん。と死んでプウと息の止まつた時に此心《このこゝろ》は何処《どこ》へ行《ゆ》くかと云《い》ふ……何処《どこ》へ参《まゐ》りませう、是《これ》は皆様方《みなさまがた》を伺《うかが》つたら何処《どこ》と仰《おつ》しやるか知《し》りませ
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