手口の外で
「若《わけ》え親方も兼公も行くにゃア及ばねえ」
と声をかけ、無遠慮《ぶえんりょ》に腰障子を足でガラリッと押開け、どっこいと蹌《よろめ》いて入りましたのは長二でございます。結城木綿の二枚|布衣《ぬのこ》に西川縞の羽織を着て、盲縞の腹掛股引に白足袋という拵えで新しい麻裏草履を突《つッ》かけ、何所《どこ》で奢って来たか笹折《さゝおり》を提《さ》げ、微酔《ほろえい》機嫌で楊枝を使いながらズッと上って来ました様子が、平常《ふだん》と違いますから一同は恟りして、
兼「兄い、何うしたんだ、何処へ行ってたんだ、己《おら》ア心配《しんぺい》したぜ」
長「何処へ行こうと己《おれ》が勝手だ、心配《しんぺい》するやつが間抜だ、ゲエープウー」
兼「やア珍らしい、兄い酔ってるな」
長「酔おうが酔うめえが手前《てめえ》の厄介になりアしねえ、大きにお世話だ黙っていろ」
と清兵衞の前に胡座《あぐら》をかいて坐りました。
兼「何だか変だが、兄いが何うかしたぜ、コウ兄い……人にさん/″\心配《しんぺい》をさせておいて悪体《あくてい》を吐《つ》くとア酷《ひど》いじゃアねえか」
長「生意気なことを吐《ぬ》かしやアがると打《たゝ》き擲《なぐ》るぞ」
兼「何が生意気だい、兄い/\と云やア兄いぶりアがって、手前《てめえ》こそ生意気だ」
と互に云いつのりますから、恒太郎が兼松を控えさせまして、
恒「コウ長二、それじゃアおとなしくねえ、手前《てめえ》が居なくなったッて兼が心配《しんぺい》しているのに、悪体《あくてえ》を吐《つ》くのア宜《よ》くねえ、酔っているかア知らねえが、此処《こゝ》で其様《そん》なことをいっちゃア済むめえぜ」
長「えゝ左様《そう》です、私《わっち》が悪かったから御免なせえ」
恒「何も謝るには及ばねえが、聞きゃア手前《てめえ》家《うち》を仕舞ったそうだが、何処《どけ》え行く積りだ」
長「何処《どけ》へ行こうとお前《めえ》さんの知った事《こッ》ちゃアねえ」
と上目で恒太郎の顔を見る。血相《きっそう》が変っていて、気味が悪うございますから、恒太郎が後逡《あとじさり》をする後《うしろ》に、最前から様子を見て居りました恒太郎の嫁のお政《まさ》が、湯呑に茶をたっぷり注《つ》いで持ってまいりました。
二十二
政「長さん、珍しく今夜は御機嫌だねえ…お前さんの居る所が知れないと云って、お父《とっ》さんや皆《みんな》が何様《どんな》に心配をしていたか知れないよ」
と茶を長二の前に置いて、
政「温《ぬる》いからおあがり、お夜食は未だゞろうね、大澤《おおさわ》さんから戴いた鰤《ぶり》が味噌漬にしてあるから、それで一膳おたべよ」
長「えゝ有がとうがすが、今喰ったばかしですから」
と湯呑の茶を戴いて、一口グッと飲みまして、
長「親方……私《わっち》は遠方へ行く積りです」
清「其様《そん》なことをいうが、何所《どけ》へ行くのだ」
長「京都へ行って利齋の弟子になる積りで、家《うち》をしまったのです」
清「それも宜《い》いが、己も先《せん》の利齋の弟子で、毎《いつ》も話す通り三年釘を削らせられた辛抱を仕通したお蔭で、是までになったのだから、今の利齋ぐれえにゃア指《さ》す積りだが……むゝあの鹿島《かしま》さんの御注文で、島桐《しまぎり》の火鉢と桑の棚を拵《こせ》えたがの、棚の工合《ぐえい》は自分でも好《よ》く出来たようだから見てくれ」
と目で恒太郎に指図を致します。恒太郎は心得て、小僧の留吉と二人で仕事場から桑の書棚を持出して、長二の前に置きました。
清「どうだ長二……この遠州透《えんしゅうすかし》は旨いだろう、引出の工合《ぐあい》なぞア誰にも負けねえ積りだ、これ見ろ、此の通りだ」
と抜いて見せるを長二はフンと鼻であしらいまして、
長「成程|拙《まず》くアねえが、そんなに自慢をいう程の事もねえ、此の遣違《やりちげ》えの留《とめ》と透《すかし》の仕事は嘘だ」
兼「何だと、コウ兄い……親方の拵《こせ》えたものを嘘だと、手前《てめえ》慢心でもしたのか」
長「馬鹿をいうな、親方の拵えた物だって拙いのもあらア、此の棚は外見《うわべ》は宜《い》いが、五六年経ってみねえ、留が放《はな》れて道具にゃアならねえから、仕事が嘘だというのだ」
恒「何だと、手前《てめえ》父さんの拵えた物ア才槌《せえづち》で一つや二つ擲《なぐ》ったって毀《こわ》れねえ事ア知ってるじゃアねえか」
長「それが毀れる様に出来てるからいけねえのだ」
恒「何うしたんだ、今夜は何うかしているぜ」
長「何うもしねえ、毎《いつ》もの通り真面目な長二だ」
恒「それが何故父さんの仕事を誹《くさ》すのだ」
長「誹す所があるから誹すのだ、論より証拠だ、才槌《せえづち》を貸しねえ、打毀《ぶっこわ》して見せるから」
恒「面白い、毀してみろ」
と恒太郎が腹立紛れに才槌《さいづち》を持って来て、長二の前へ投《ほう》り出したから、お政は心配して、
政「あれまアおよしよ、酔ってるから堪忍おしよ」
恒「酔ってるかア知らねえが、余《あんま》りだ、手前《てまえ》の腕が曲るから毀してみろ」
兼「若《わけ》え親方……腹も立とうが姉《あね》さんのいう通り、酔ってるのだから我慢しておくんなせえ、不断|此様《こん》な人じゃアねえから、私《わっち》が連れて帰って明日《あした》詫に来ます……兄い更けねえうちに帰《けえ》ろう」
と長二の手を取るを振払いまして、
長「何ヨしやがる、己《おら》ア無宿《やどなし》だ、帰《けえ》る所《とこ》アねえ」
と云いながら才※[#「てへん+二点しんにょうの「追」」、第4水準2−13−38]を取って立上り、恒太郎の顔を見て、
長「今打き毀して見せるから其方《そっち》へ退《ど》いていなせい」
と才槌を提《ひっさ》げて、蹌《よろ》めく足を蹈《ふ》みしめ、棚の側へ摺寄って行灯《あんどう》の蔭になるや否や、コツン/\と手疾《てばや》く二槌《ふたつち》ばかり当てると、忽ち釘締《くぎじめ》の留は放れて、遠州透はばら/″\になって四辺《あたり》へ飛散りました。
二十三
言葉の行掛《ゆきがゝり》から彼《あ》アはいうものゝよもやと思った長二が、遠慮もなく清兵衛の丹誠を尽した棚を打毀《ぶちこわ》しました。且《かつ》二つや三つ擲《なぐ》ったって毀れる筈のない棚がばら/\に毀れたのに、居合わす人々は驚きました。中にも恒太郎は長二が余りの無作法に赫《かっ》と怒《いか》って、突然《いきなり》長二の髻《たぶさ》を掴んで仰向に引倒し、拳骨で長二の頭を五つ六《む》つ続けさまに打擲《ぶんなぐ》りましたが、少しもこたえない様子で、長二が黙って打《ぶ》たれて居りますから、恒太郎は燥立《いらだ》ちて、側に落ちている才槌を取って打擲ろうと致しますに、お政が驚いて其の手に縋《すが》りついて、
政「あれまア危ないからおよしよ、怪我をさせては悪いからサ兼松……速く留めておくれ」
兼「まアお待ちなせえ、其様《そん》な物で擲っちア大変だ」
と止めるのを恒太郎は振払いまして。
恒「なに此の野郎、ふざけて居やがる、此の才槌《せえづち》で棚を毀したから己が此の野郎の頭を打毀《ぶちこわ》してやるんだ」
と才槌を振り上げました。此の騒ぎを最前から黙って視て居りました清兵衞が、
清「恒マア待て、よしねえ、打棄《うっちゃ》っておけ」
と留めましたが、恒太郎はなか/\肯《き》きません。
恒「それだッて此様《こんな》に毀してしまっちゃア、明日《あした》鹿島《かじま》さんへ納める事が出来ねえ」
清「まア己が言訳をするから宜《い》いというに」
と叱りつけましたので、恒太郎、余儀なく手を放したから、お政も安心して長二を引起しながら、
政「何処も痛みはしないか、堪忍おしよ」
長「へい、有がとうがす」
と会釈をして坐り直す長二の顔を、清兵衛がジッと視まして、
清「これ長二|手前《てめえ》能く吾《おれ》の拵《こせ》えた棚を毀したな、手前は大層上手になった、己の仕事に嘘があるとは感心だ、何処に嘘があるか手前の気の付いた所を一々其処で云って見ろ」
長「へい、云えというなら云いますが、此の広い江戸で清兵衞と云やア知らねえ者のねえ指物師の名人だが、それア二十年も前《めえ》のことだ、もう六十を越して眼も利かなくなり、根気も脱《ぬ》けて、此の頃ア板削《いたけずり》まで職人にさせるから、艶《つや》が無くなって何処となしに仕事が粗《あら》びて、見られた状《ざま》アねえ、私《わっち》が弟子に来た時分は釘一本|他手《ひとで》にかけず、自分で夜延《よなべ》に削って、精神《たましい》を入れて打ちなさったから百年経っても合口《えいくち》の放れッこは無かったが、今じゃア此のからッぺたの恒|兄《あにい》に削らせた釘を打ちなさるから、此ん通りで状《ざま》ア無《ね》い、アハヽヽ」
と打毀した棚に指をさして嘲笑《あざわら》いますから、兼松は気を揉んで、長二の袖をそっと引きまして、
兼「おい兄い何うしたんだ、大概《ていげえ》にしねえ」
と涙声で申しますが、一向に頓着《とんじゃく》いたしません。
長「才槌《せえづち》で二つや三つ擲って毀れるような物が道具になるか、大概《ていげえ》知れた事《こっ》た、耄碌しちゃア駄目だ」
と法外な雑言《ぞうごん》を申しますから、恒太郎が堪《こら》えかねて拳骨を固めて立かゝろうと致しますを、清兵衛が睨《にら》みつけましたから、歯軋《はぎしり》をして扣《ひか》えて居ります。
長「その証拠にゃア十年|前《めえ》私《わっち》に何と云いなすった、親方忘れやしないだろう、箱というものは木を寄せて拵《こせ》えるものだから、暴《あら》くすりア毀れるのが当然《あたりめえ》だ、それが幾ら使っても百年も二百年も毀れずに元のまんまで居るというのア仕事に精神《たましい》を入れてするからの事だ、精神を入れるというのは外じゃアねえ、釘の削り塩梅から板の拵え工合《ぐえい》と釘の打ち様にあるんだ、それだから釘一本|他《ひと》に削らせちゃア自分の精神が入らねえところが出来て、道具が死んでしもうのだ、死んでる道具は直に毀れッちまうと云ったじゃアありやせんか、其の通りしねえから此の棚の仕事は嘘だと云うのだ、此様《こんな》に直ぐ毀れる物を納めるのア注文先へ対《てえ》して不実というものだ、是で高い工手間《くでま》を取ろうとは盗人《ぬすっと》より太《ふて》え了簡だ」
と止途《とめど》なく罵《のゝし》ります。
二十四
清兵衛も腹にすえかね、
清「黙りやアがれ、馬鹿野郎め、生意気を吐《ぬか》しやアがると承知しねえぞ、坂倉屋の仏壇で名を取ったと思って、高言を吐《つ》きアがるが、手前《てめえ》がそれほど上手になったのア誰が仕込んだんだ、其の高言は他《ほか》へ行って吐くが宜《い》い、己の目からはまだ板挽《いたひき》の小僧だが、己を下手だと思うなら止せ、他《ひと》に対《むか》って己の弟子だというなよ」
長「さア、それだから京都へ修業に行くのだ、親方より上手な師匠を取る気だ」
恒「呆れた野郎だ、父《とっ》さん何うしよう」
兼「正気でいうのじゃアねえ」
清「気違《きちげえ》だろう、其様《そん》な奴に構うなよ」
兼「おい、兄い、どうしたんだ、本当に気でも違ったのか」
長「べらぼうめ、気が違ってたまるもんか、此様《こん》な下手な親方に附いていちゃア生涯《しょうげえ》仕事の上りッこがねえから、己の方から断るんだ」
清「長二、手前《てめえ》本当に其様なことをいうのか」
長「嘘を吐《つ》いたッて仕方がねえ、私《わっち》が京都で修業をして名人になッたって、己の弟子だと云わねえように縁切《えんきり》の書付《かきつけ》をおくんなせえ」
清「べらぼうめ、手前のような奴ア、再び弟子にしてくれろと云って来ても己の方からお断りだ」
長「書付を出さねえなら、此方《こっち》で書いて行こう」
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