茶を注《つ》いで出しながら、
 長「いつぞやは種々御馳走を戴きまして、それから此来《こっち》体が悪《わり》いので、碌に仕事をいたしませんから、棚も木取《きど》ったばかりで未だ掛りません」
 幸「今日は其の催促じゃアないよ、彼《あ》の時ぎりでお目にかゝらないから、妻《これ》が心配して」
 とお柳の顔を見ると、お柳は長二の顔を見まして、
 柳「いつぞやは生憎持病が発《おこ》って失礼をしましたから、今日はそのお詫かた/″\」
 長「それは誠にどうも」
 と挨拶をしながら立って、戸棚の中を引掻きまわして、漸々《よう/\》菓子皿を探して、有合せの最中を五つばかり盛って出し、
 長「生憎兼松も婆さんも留守で、誠にどうも」
 柳「お一人ではさぞ御不自由でしょう」
 長「へい、別に不自由とも思いませんが、此様《こん》な時何が何処に蔵《しま》って在《あ》るか分りませんので」
 柳「左様《そう》でしょう、それに病み煩いの時などは内儀《おかみ》さんがないと困りますから、早くお貰いなすっては何うです、ねえ旦那」
 幸「左様《そう》だ、失礼な云分《いいぶん》だが、鰥夫《おとこやもめ》に何《なん》とやらで万事所帯に損があるから、好《い》いのを見付けて持ちなさい」
 長「だって私《わっち》のような貧乏人の処《とけ》えは来人《きて》がございません、来てくれるような奴は碌なのではございませんから」
 柳「なアに左様したもんじゃアない、縁というものは不思議なもんですよ、恥を云わないと分りませんが、私は若い時伯母に勧められて或所へ嫁に行って、さん/″\苦労をしたが、縁のないのが私の幸福《しあわせ》で、今は斯ういう安楽な身の上になって、何一つ不足はないが子供の無いのが玉に瑕《きず》とでも申しましょうか、順当なら長さん、お前さんぐらいの子があっても宜《い》いんですが、子の出来ないのは何かの罰《ばち》でしょうよ、いくらお金があっても子の無いほど心細いことはありませんから、長さん、お前さんも早く内儀さんを貰って早く子をお拵えなさい……お前さん貧乏だから嫁に来人がないとお云いだが、お金は何うにでもなりますから早くお貰いなさい、まだ宅《うち》の道具を種々|拵《こさ》えてもらわなければなりませんから、お金は私が御用達《ごようだ》てます」
 と云いながら膝の側に置いてある袱紗包《ふくさづゝみ》の中から、其の頃|新吹《しんふき》の二分金の二十五両包を二つ取出し、菓子盆に載せ、折熨斗《おりのし》を添えて、
 柳「これは少いが、内儀さんを貰うにはもう些《ちっ》と広い好《い》い家《うち》へ引越さなけりゃアいけないから、納《と》ってお置きなさい、内儀さんが決ったなら、又要るだけ上げますから」
 と長二の前へ差出しました。長二は疾《と》くに幸兵衞夫婦を実の親と見抜いて居りますところへ、最前からの様子といい、段々の口上は尋常《ひとゝおり》の贔屓でいうのではなく、殊に格外の大金に熨斗を付けてくれるというは、己を確かに実子と認めたからの事に相違ないに、飽までも打明けて名告らぬ了簡が恨めしいと、むか/\と腹が立ちましたから、金の包を向うへ反飛《はねと》ばして容《かたち》を改め、両手を膝へ突きお柳の顔をじっと見詰めました。

        十七

 長「何です此様《こん》な物を……あなたはお母《っか》さんでしょう」
 と云われてお柳はあっと驚き、忽ちに色蒼ざめてぶる/\顫《ふる》えながら、逡巡《あとじさり》して幸兵衛の背後《うしろ》へ身を潜めようとする。幸兵衛も血相を変え、少し声を角立てまして、
 幸「何だと長二……手前何をいうのだ、失礼も事によるア、気でも違ったか、馬鹿々々しい」
 長「いゝえ決して気は違《ちげ》えません……成程隠しているのに私《わっち》が斯う云っちア失礼かア知りませんが、棄子の廉《かど》があるから何時まで経っても云わないのでしょう、打明けたッて私が親の悪事を誰に云いましょう、隠さず名告っておくんなせえ」
 と眼を見張って居ります。幸兵衞は返答に困りまして、うろ/\するうち、お柳は表の細工場《さいくば》の方へ遁《に》げて行きますから、長二が立って行って、
 長「お母さん、まアお待ちなせえ」
 と引戻すを幸兵衛が支えて、
 幸「長二……手前何をするのだ、失礼千万な、何を証拠に其様《そん》なことをいうのだ、ハヽア分った、手前《てめえ》は己が贔屓にするに附込んで、言いがゝりをいうのだな、お邸方《やしきがた》の御用達《ごようたし》をする龜甲屋幸兵衞だ、失礼なことをいうと召連訴《めしつれうった》えをするぞ」
 柳「あれまア大きな声をおしでないよ、人が聞くと悪いから」
 幸「誰が聞いたッて構うものか、太い奴だ」
 長「何で私《わっち》が言いがゝりなんぞを致しましょう、本当の親だと明しておくんなさりゃアそれで宜《い》いんです、それを縁に金を貰おうの、お前《めえ》さんの家《うち》に厄介《やっけい》になろうのとは申しません、私は是まで通り指物屋でお出入を致しますから、只親だと一言《ひとこと》云っておくんなせえ」
 と袂に縋《すが》るを振払い、
 幸「何をするんだ、放さねえと家主《いえぬし》へ届けるが宜いか」
 と云われて長二が少し怯《ひる》むを、得たりと、お柳を表へ連れ出そうとするを、長二が引留めようと前へ進む胸の辺《あたり》を右の手で力にまかせ突倒して、
 幸「さア疾《はや》く」
 とお柳の手を引き、見返りもせず柳島の方《かた》へ急いでまいります。後影《うしろかげ》を起上りながら、長二が恨めしそうに見送って居りましたが、思わず跣足《はだし》で表へ駈出し、十間ばかり追掛《おっか》けて立止り、向うを見詰めて、何か考えながら後歩《あとじさり》して元の上《あが》り口《はな》に戻り、ドッサリ腰をかけて溜息を吐《つ》き、
 長「ハアー廿九年|前《めえ》に己を藪ん中《なけ》え棄てた無慈悲な親だが、会って見ると懐かしいから、名告ってもれえてえと思ったに、まだ邪慳を通して、人の事を気違だの騙《かた》りだのと云って明かしてくれねえのは何処までも己を棄てる了簡か、それとも己の思違いで本当の親じゃア無《ね》いのか知らん、いゝや左様《そう》で無《ね》え、本当の親で無くって彼様《あん》なことをいう筈は無《ね》い、それに五十両という金を……おゝ左様だ、彼《あ》の金は何うしたか」
 と内に這入って見ると、行灯《あんどう》の側に最前の金包がありますから、
 長「やア置いて行った…此の金を貰っちゃア済まねえ、チョッ忌々《いま/\》しい奴だ」
 と独言《ひとりごと》を云いながら金包を手拭に包《くる》んで腹掛のどんぶりに押込み、腕組をして、女と一緒だからまだ其様《そんな》に遠くは行くまい、田圃径《たんぼみち》から請地《うけち》の堤伝《どてづた》いに先へ出越せば逢えるだろう、柳島まで行くには及ばねえと点頭《うなず》きながら、尻をはしょって麻裏草履を突《つっ》かけ、幸兵衞夫婦の跡を追って押上《おしあげ》の方《かた》へ駈出しました。此方《こちら》は幸兵衞夫婦丁度霜月九日の晩で、宵から陰《くも》る雪催しに、正北風《またらい》の強い請地の堤《どて》を、男は山岡頭巾をかぶり、女はお高祖頭巾《こそずきん》に顔を包んで柳島へ帰る途中、左右を見返り、小声で、
 幸「此方《こっち》の事を知らせずとも、余所ながら彼《あれ》を取立てゝやる思案もあるから、決して気《け》ぶりにも出すまいぞと、あれ程云って置いたに、余計なことを云うばかりか、己にも云わずに彼様《あん》な金を遣ったから覚《さと》られたのだ、困るじゃアねえか」
 柳「だッてお前さん、現在我子と知れたのに打棄《うっちゃ》って置くことは出来ませんから、名告らないまでも彼を棄てた罪滅《つみほろぼ》しに、彼《あ》のくらいの事はしてやらなければ今日様《こんにちさま》へ済みません」
 幸「エヽまだ其様《そん》なことを云ってるか、過去《すぎさ》った昔の事は仕方がねえ」
 柳「まだお前さんは彼を先《せん》の旦那の子だと思って邪慳になさるのでございますね」
 幸「馬鹿を云え、そう思うくらいなら彼様《あんな》に目をかけてやりはしない」
 柳「だッて先刻《さっき》なんぞア酷《ひど》く突倒したじゃアありませんか」
 幸「それでも今彼に本当のことを知られちゃア、それから種々《いろん》な面倒が起るかも知れないから、何処までも他人で居て、子のようにしようと思うからの事だ……おゝ寒い、斯様《こん》な所で云合ったッて仕方がない、速く帰って緩《ゆっ》くり相談をしよう、さア行こう」
 と、お柳の手を取って歩き出そうと致しまする路傍《みちばた》の枯蘆《かれあし》をガサ/\ッと掻分けて、幸兵衞夫婦の前へ一人の男が突立《つッた》ちました。是は申さないでも長二ということ、お察しでございましょう。

        十八

 請地の土手伝いに柳島へ帰ろうという途中、往来《ゆきゝ》も途絶えて物淋しい所へ、大の男がいきなりヌッとあらわれましたので、幸兵衞はぎょっとして遁《に》げようと思いましたが、女を連れて居りますから、度胸を据えてお柳を擁《かば》いながら、二足《ふたあし》三足《みあし》後退《あとじさり》して、
 幸「誰だ、何をするんだ」
 長「誰でもございません長二です」
 幸「ムヽ長二だ……長二、手前|何《なん》しに来たんだ」
 長「何しに来たとはお情《なさけ》ねえ……私《わっち》は九月の廿八日、背中の傷を見せた時、棄てられたお母《っか》さんだと察したが、奉公人の前《めえ》があるから黙って帰《けえ》って、三月越《みつきご》しお前《めえ》さん方の身上《みじょう》を聞糺《きゝたゞ》して、確《たしか》に相違|無《ね》えと思うところへ、お二人で尋ねて来てくだすったのは、親子の名告《なのり》をしてくんなさるのかと思ったら、そうで無えから我慢が出来ず、私の方から云出したのが気に触ったのか、但しは無慈悲を通す気か、気違だの騙りだのと人に悪名《あくみょう》を付けて帰《けえ》って行くような酷《むご》い親達から、金なんぞ貰う因縁が無えから、先刻《さっき》の五十両を返《けえ》そうと捷径《ちかみち》をして此処《こゝ》に待受け、おもわず聞いた今の話、もう隠す事ア出来ねえだろう、お母さん、何うかお前《めえ》さんに云い難《にく》い事があるかア知りませんが、決して他《ひと》には云わねえから、お前《めえ》を産んだお母《ふくろ》だといってくだせい……お願いです……また旦那は私の本当のお父《とっ》さんか、それとも義理のお父さんか聞かしてくだせい」
 と段々幸兵衞の傍《そば》へ進んで、袂に縋る手先を幸兵衛は振払いまして、
 幸「何をしやアがる気違|奴《め》……去年谷中の菩提所で初めて会った指物屋、仕事が上手で心がけが奇特《きどく》だというので贔屓にして、仕事をさせ、過分な手間料を払ってやれば附けあがり、途方もねえ言いがゝりをして金にする了簡だな、其様《そん》な事に悸《びく》ともする幸兵衞じゃア無《ね》えぞ……えゝ何をするんだ、放せ、袂が切《きれ》るア、放さねえと打擲《ぶんなぐ》るぞ」
 と拳を振上げました。
 長「打《ぶ》つなら打ちなせえ、お前《めえ》さんは本当の親じゃアねえか知らねえが、お母《っか》さんは本当のお母さんだ……お母さん、何故|私《わっち》を湯河原へ棄てたんです」
 とお柳の傍へ進もうとするを、幸兵衛が遮《さえぎ》りながら、
 幸「何をしやアがる」
 と云いさま拳固で長二の横面《よこつら》を殴りつけました。そうでなくッても憎い奴だと思ってる所でございますから、長二は赫《かっ》と怒《いか》りまして、打った幸兵衛の手を引《ひ》とらえまして、
 長「打《ぶ》ちゃアがったな」
 幸「打たなくッて泥坊め」
 長「何だと、何時己が盗人《ぬすっと》をした」
 幸「盗人だ、此様《こん》な事を云いかけて己の金を奪《と》ろうとするのだ」
 長「金が欲《ほし》いくれえなら、此の金を持って来《き》やアしねえ、汝《うぬ》のような義理も人情も知らねえ畜生の持った、穢《けがら》わしい金は
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