置いた炭団《たどん》を掻発《かきおこ》して、其の上に消炭を積上げ、鼻を炙《あぶ》りながらブー/\と火を吹いて居ります。お由は半纏羽織《はんてんばおり》を脱いで袖畳みにして居りますと、表の格子戸をガラリッと明けて入《は》いってまいりました男は、太織《ふとおり》というと体裁が宜《よ》うございますが、年数を喰って細織になった、上の所|斑《まんだ》らに褪《は》げておる焦茶色の短かい羽織に、八丈まがいの脂染《あぶらじ》みた小袖を着し、一本独鈷《いっぽんどっこ》の小倉の帯に、お釈迦の手のような木刀をきめ込み、葱《ねぎ》の枯葉《かれっぱ》のようなぱっちに、白足袋でない鼠足袋というのを穿《は》き、上汐《あげしお》の河流れを救って来たような日和下駄《ひよりげた》で小包を提《さ》げ、黒の山岡頭巾を被って居ります。
三十五
誰だか分りませんが、風体《ふうてい》が悪いから、お由が目くばせをして茂二作を奥の方へ逐遣《おいや》り、中仕切《なかじきり》の障子を建切りまして、
由「何方《どなた》です」
「はい玄石《げんせき》でござるて」
と頭巾を取って此方《こっち》を覗込《のぞきこ》みました。
由「おや/\岩村《いわむら》さんで、お久しぶりでございますこと」
玄「誠に意外な御無音《ごぶいん》をいたしたので、併《しか》し毎《いつ》も御壮健で」
と拇指《おやゆび》を出して、
玄「御在宿かな」
というは正《まさ》しく合力《ごうりょく》を頼みに来たものと察しましたから、
由「はい、今日は生憎《あいにく》留守で、マアお上んなさいな」
と口には申しましても、玄石が腰を掛けて居《お》る上《あが》り端《ばた》へ、べったりと大きなお尻《いど》を据《す》えて居りますから、玄石が上りたくも上ることが出来ません。
玄「へい何方《どちら》へお出でゞす、もう程のう御帰宅でしょう」
由「いゝえ此の頃親類が災難に遭《あ》って、心配中で、もう少し先刻《さっき》其の方へ出かけましたので、私《わたくし》も是れから出かけようと、此の通り今着物を着替えたところで、まことに生憎な事でした、お宿が分って居りますれば明日《みょうにち》にも伺わせましょう」
玄「はい、宿と申して別に……実に御承知の通り先年郷里へ隠遁をいたした処、兵粮方《ひょうろうかた》の親族に死なれ、それから已《やむ》を得ず再び玄関を開《ひら》くと、祝融《しゅくゆう》の神に憎まれて全焼《まるやけ》と相成ったじゃ、それからというものは為《す》る事なす事|※[#「易+鳥」、第4水準2−94−27]《いすか》の嘴《はし》、所詮《しょせん》田舎では行《ゆ》かんと見切って出府《しゅっぷ》いたしたのじゃが、別に目的もないによって、先ず身の上を御依頼申すところは、龜甲屋様と存じて根岸をお尋ね申した処、鳥越へ御転居に相成ったと承わり、早速伺ったら、いやはや意外な凶変、実に驚き入った事件で、定めて此方《こなた》にも御心配のことゝ存ずるて」
由「まことにお気の毒な事で、何とも申そう様《よう》がございません、定めてお聞でしょうが、お宅《うち》へお出入の指物屋が金に目が眩《く》れて殺したんですとサ」
玄「ふーむ、不埓千万な奴で……実に金が敵《かたき》の世の中です、然るに愚老は其の敵に廻《めぐ》り逢おうと存じて出府致した処、右の次第で当惑のあまり此方《こなた》へ御融通を願いに出たのですから、何卒《どうか》何分」
由「はい、折角のお頼みではございますが、此の節は実《まこと》に融通がわるいので、どうも」
玄「でもあろうが、お手許《てもと》に遊んで居らんければ他《た》からでも御才覚を願いたい、利分は天引でも苦しゅうないによって」
由「ハア、それは貴方のことですから、才覚が出来さいすれば何《ど》の様にも骨を折って見ましょうが、何分今が今と云っては心当りが」
玄「其処《そこ》を是非とも願うので」
と根強く掛合込《かけあいこ》みまして、お由にはなか/\断りきれぬ様子でありますから、茂二作は一旦脱いだ羽織を引掛《ひっか》け、裏口から窃《そっ》と脱出《ぬけだ》して表へ廻り、今帰ったふりで門口を明けましたから、お由はぬからぬ顔で、
由「おや大層早かったねえ」
茂「いや、これは岩村先生……まことにお久しい」
玄「イーヤお帰りですか、意外な御無音《ごぶいん》、実《じつ》に謝するに言葉がござらんて」
茂「何うなさったかと毎度お噂をして居りましたが、まアお変りもなくて結構です」
玄「ところがお変りだらけで不結構《ぶけっこう》という次第を、只今|御内方《ごないほう》へ陳述いたして居《お》るところで、実に汗顔《かんがん》の至りだが、国で困難をして出府いたした処、頼む樹陰《こかげ》に雨が漏るで、龜甲屋様の変事、進退|谷《きわ》まったので已むを得ず推参いたした訳で、老人を愍然《びんぜん》と思召して御救助を何うか」
茂「成程、それはお困りでしょうが、当節は以前と違って甚《ひど》い不手廻りですから、何分心底に任しません」
と金子を紙に包んで、
茂「これは真《ほん》の心ばかりですが、草鞋銭と思って何うぞ」
と差出すを、
玄「はい/\実に何とも恐縮の至りで」
と手に受けて包をそっと披《ひら》き、中を見て其の儘に突戻しまして、
玄「フン、これは唯《たっ》た二百|疋《ぴき》ですねえ、もし宜く考えて見ておくんなさい」
茂「二分では少いと仰しゃるのか」
玄「左様《さよう》さ、これッばかりの金が何になりましょう」
茂「だから草鞋銭だと云ったのだ、二分の草鞋がありゃア、京都へ二三度行って帰ることが出来る」
玄「ところが愚老の穿《は》く草鞋は高直《こうじき》だによって、二百疋では何うも国へも帰られんて」
茂「そんなら幾許《いくら》欲《ほし》いというのだ」
玄「大負けに負けて僅《わず》か百両借りたいんで」
三十六
由「おやまア呆れた」
茂「岩村さん、お前とんでもねえ事をいうぜ、何で百両貸せというのだ、私《わし》アお前さんにそんな金を貸す因縁はない」
玄「成程因縁はあるまいが、龜甲屋の御夫婦が歿《なくな》った暁《あかつき》は、昔馴染の此方《こなた》へ縋《すが》るより外に仕方がないによって」
茂「昔馴染だと思うから二分はずんだのだ、左様《そう》でなけりゃア百もくれるのじゃアない、少いというなら止しましょうよ」
玄「宜しい、此方《こっち》でも止しましょう、憚りながら零落しても岩村玄石だ、先年売込んだ名前があるから秘術|鍼治《しんじ》の看板を掲《か》けさいすれば、五両や十両の金は瞬間《またゝくま》に入《は》いって来るのは知れているが、見苦しい家《うち》を借りたくないから、資本を借りに来たのだが、貴公が然《そ》ういう了簡なら、貸そうと申されてももう借用はいたさぬて」
茂「そりゃア幸いだ、二分棒にふるところだった、馬鹿/\しい」
玄「何だ馬鹿/\しいとは、何だ、貴公達は旧《もと》の事を忘れたのか、物覚えの悪い人たちだ、心得のため云って聞かせよう、貴公達は龜甲屋に奉公中、御新造様に情夫《おとこ》を媒介《とりも》って、口止に貰った鼻薬をちび/\貯めて小金貸《こがねかし》、それから段々慾が増長し、御新造様のくすねた金を引出して、五両一の下金貸《したかねかし》、貧乏人の喉を搾《し》めて高利を貪り仕上げた身代、貯るほど穢《きたな》くなる灰吹同前の貴公達の金だ、仮令《たとえ》借りても返さずには置かないのに、何だ金比羅詣り同様な銭貰いの取扱い、草鞋銭とは失礼千万、たとい金は貸さないまでも、遠国から出て来て、久しぶりで尋ねて来たのだ、此様《こん》な家《うち》へ泊りはしないが、お疲れだろうから一泊なさいとか、また鹿角菜《ひじき》に油揚の惣菜では喰いもしないが、時刻だから御飯をとか世辞にも云うべき義理のある愚老を、軽蔑するにも程があるて」
由「おや大層お威張りだねえ、何ですとアノ」
茂「お由黙っていろ、強請《ゆすり》だから」
玄「なに強請だ、愚老が強請なら貴公達は人殺《ひとごろし》の提灯持だ」
茂「やア、とんだ事をいう奴だ、何が人殺だ」
玄「聞きたくば云って聞かせるが、貴公達は龜甲屋の旦那の病中に、愚老へ頼んだことを忘れたのか」
と云われて、夫婦は恟《びっく》りして顔色を変え、顫《ふる》えながら小さな声をして、
茂「これサ、それを云やア先生も同罪だぜ、まア静かにおしなさい、人に聞かれると善くないから」
玄「それは万々承知さ、此様なことは云いたくは無いが、余《あんま》り貴公達が因業で吝嗇《けち》だからさ」
由「それじゃお前さん虫がいゝというもんだ、先生お前さん彼《あ》の時御新造から百両貰ったじゃアありませんか」
玄「百両ばかり何うなるものか、なくなったによって、又百両又百両と、千両ばかり段々に貰う心得で出て来て見ると、天道様は怖いもので、二人とも人手にかゝって殺されたというから、向後《きょうこう》悪事はいたさぬと改心をしたが、肝腎の金庫《かねぐら》が無くなって見ると、玄石殆んど路頭に迷う始末だから、已むを得ず幸いに天網《てんもう》を遁《のが》れて居《お》る貴公達へ、御頼談《ごらいだん》に及んだのさ」
茂「それでも私《わし》にア一本という大金は」
玄「出来ないというのを無理にとは申さんが、其の金が無い時は玄関を開く事も出来ず、再び郷里へ帰る面目もないによって、路傍に餓死するより寧《むし》ろ自から訴え出て、御法を受けた方が未来のためになろうと観念をしたのさ、其の時は御迷惑であろうが、貴公達から依頼を受けて斯々《こう/\》いたしたと手続きを申し立てるによって、その覚悟で居ってもらわんければならんが、宜しいかね」
と調子に乗って声高《こわだか》に談判するを、先刻《せんこく》より軒前《のきさき》に空合《そらあい》を眺めて居りました二人の夜店|商人《あきんど》が、互いに顔を見合わせ、頷《うなず》きあい、懐中から捕縄《とりなわ》を取出すや否や、格子戸をがらりっと明けて、
「御用だ……神妙にいたせ」
と手早く玄石に縄をかけ、茂二作夫婦諸共に車坂の自身番へ拘引いたしました。この二人の夜店商人は申すまでもなく、大抵御推察になりましたろうが、これは曩《さき》に吟味与力吉田駒二郎から長二郎一件の探偵方を申付けられました、金太郎繁藏の両人でございます。
三十七
岩村玄石を縛りあげて厳重に取調べますと、此の者は越中国《えっちゅうのくに》射水郡《いみずごおり》高岡の町医の忰で、身持|放埓《ほうらつ》のため、親の勘当を受け、二十歳《はたち》の時江戸に来て、ある鍼医《はりい》の家の玄関番に住込み、少しばかり鍼術《はり》を覚えたので、下谷|金杉村《かなすぎむら》に看板をかけ、幇間《たいこ》半分に諸家へ出入をいたして居《お》るうち、根岸の龜甲屋へも立入ることになり、諂諛《おべっか》が旨いのでお柳の気に入り、茂二作夫婦とも懇意になりました所から、主人半右衞門が病気の節お柳幸兵衞の内意を受けた茂二作夫婦から、他《ひと》に知れないように半右衞門を毒殺してくれたら、百両礼をすると頼まれたが、番木鼈《まちん》の外は毒薬を知りません。また鍼《はり》には戻天《るいてん》といって一打《ひとうち》で人を殺す術があるということは聞いて居りますが、それまでの修業をいたしませんから、殺す方角がつきませんが、眼の前に吊下《ぶらさが》っている百両の金を取損《とりそこな》うのも残念と、種々《いろ/\》に考えるうち、人体の左の乳の下は心谷命門《しんこくめいもん》といって大切な所ゆえ、秘伝を受けぬうちは無闇に鍼を打つことはならぬと師匠が毎度云って聞かしたことを思い出しましたから、是が戻天の所かも知れん、物は試しだ一番|行《やっ》て見ようというので、茂二作夫婦には毒薬をもって殺す時は死相が変って、人の疑いを招くから、愚老が研究した鍼の秘術で殺して見せると申して、例の通り療治をする時、半右衞門の左の乳の下へ思切って深く鍼を打ったのが
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