まぐれ中《あた》りで、命門に達したものと見えて、半右衞門は苦痛もせず落命いたしましたから、お柳と幸兵衞は大《おおき》に喜び、玄石の技術《うでまえ》を褒めて約束の通り金百両を与えて、堅く口止をいたし、茂二作夫婦にも幾許《いくら》かの口止金を与えて半右衞門を病死と披露して、谷中の菩提所へ埋葬《とりおき》をいたしたと逐一旧悪を白状に及びましたので、幸兵衞お柳の大悪人ということが明白になり、長二郎は図らず実父半右衞門の仇《あだ》幸兵衞を殺し、敵討をいたした筋に当りますが、悪人ながらお柳は実母でございますから、親殺しの廉《かど》は何うしても遁《のが》れることは出来ませんので、町奉行筒井和泉守様は拠《よんどこ》ろなく、それ/″\の口書《こうしょ》を以て時の御老中の筆頭|土井大炊頭《どいおおいのかみ》様へ伺いになりましたから、御老中|青山下野守《あおやましもつけのかみ》様、阿部備中守《あべびっちゅうのかみ》様、水野出羽守《みずのでわのかみ》様、大久保加賀守《おおくぼかゞのかみ》様と御評議の上、時の将軍|家齊《いえなり》公へ長二郎の罪科御裁許を申上げられました。この家齊公と申すは徳川十一代の将軍にて、文恭院《ぶんきょういん》様と申す明君《めいくん》にて、此の時御年四十六歳にならせられ専ら天下の御政事の公明なるようにと御心《みこゝろ》を用いらるゝ折※[#「てへん+丙」、第4水準2−13−2]《おりから》でございますから、容易には御裁許遊ばされず、猶お御老中方に長二郎を初め其の他《た》関係《かゝりあい》の者の身分行状、並に此の事件の手続等を悉《くわ》しくお訊《たゞ》しになりましたから、御老中方から明細に言上《ごんじょう》いたされました処、成程|半右衞門《はんえもん》妻柳なる者は、長二郎の実母ゆえ親殺しの罪科に宛行《あておこな》うべきものなるが、柳は奸夫幸兵衞と謀《はか》り、玄石を頼んで半右衞門を殺した所より見れば、長二郎のためには幸兵衞同様親の仇に相違なし、然るに実母だからといって復讐の取扱が出来ぬというは如何《いか》にも不条理のように思われ、裁断に困《くるし》むとの御意にて、直《すぐ》に御儒者《ごじゅしゃ》林大學頭様をお召しになり、御直《ごじき》に右の次第をお申聞けの上、斯様なる犯罪はまだ我国には例もなき事ゆえ、裁断いたし兼るが、唐土《からくに》に類例もあらば聞きたし、且《かつ》別にこれを裁断すべき聖人の教《おしえ》あらば心得のため承知したいとの仰せがありました。

        三十八

 林大學頭様は、先年坂倉屋助七の頼みによって長二郎が製造いたした無類の仏壇に折紙《おりかみ》を付けられた時、其の文章中に長二郎が伎倆《うでまえ》の非凡なることゝ、同人が親に事《つか》えて孝行なることゝ、慈善を好む仁者なることを誌《しる》した次に、未《いま》だ学ばずというと雖《いえど》も吾は之を学びたりと謂《い》わんとまで長二郎を賞《ほ》め、彼は未だ学問をした事は無いというが、其の身持と心立《こゝろだて》は、十分に学問をした者も同様だという意味を書かれて、其の後《ご》人にも其の事を吹聴された事でありますから、その親孝行の長二郎が親殺しをしたといっては、先年の折紙が嘘誉《そらぼめ》になって、御自分までが面目《めんぼく》を失われる事になりますばかりでなく、将軍家の御質問も御道理でございますから、頻《しき》りに勘考を致されましたが、唐《から》にも此の様な科人《とがにん》を取扱った例《ためし》はございませんが、これに引当てゝ長二郎を無罪にいたす道理を見出されましたので、大學頭様は窃《ひそ》かに喜んで、長二郎の罪科御裁断の儀に付き篤《とく》と勘考いたせし処、唐土《もろこし》においても其の類例は見当り申さざるも、道理において長二郎へは御褒美の御沙汰《ごさた》あって然るびょう存じ奉つると言上いたされましたから、家齊公には意外に思召され、其の理を御質問遊ばされますと、大學頭様は五経の内の礼記《らいき》と申す書物をお取寄せになりまして、第三|巻《がん》目の檀弓《だんぐう》と申す篇の一節《ひとくだり》を御覧に入れて、御講釈を申上げられました。こゝの所は徳川将軍家のお儒者林大學頭様の仮声《こわいろ》を使わんければならない所でございますが、四書《ししょ》の素読《そどく》もいたした事のない無学文盲の私《わたくし》には、所詮お解りになるようには申上げられませんが、或方《あるかた》から御教示を受けましたから、長二郎の一件に入用《いりよう》の所だけを摘《つま》んで平たく申しますと、唐の聖人孔子様のお孫に、※[#「にんべん+及」、116−6]《きゅう》字《あざな》は子思《しゝ》と申す方がございまして、そのお子を白《はく》字《あざな》は子上《しじょう》と申しました、子上を産んだ子思の奥様が離縁になって後《のち》死んだ時、子上のためには実母でありますが、忌服《きふく》を受けさせませんから、子思の門人が聖人の教《おしえ》に背くと思って、何故《なにゆえ》に忌服をお受けさせなさらないのでございますと尋ねましたら、子思先生の申されるのに、拙者の妻《さい》であれば白のためには母であるによって、無論忌服を受けねばならぬが、彼は既に離縁いたした女で、拙者の妻でないから、白のためにも母でない、それ故に忌服を受けさせんのであると答えられました、礼記の記事は悪人だの人殺《ひとごろし》だのという事ではありませんが、道理は宜く合っております、ちょうど是《こ》の半右衞門が子思の所で、子上が長二郎に当ります、お柳は離縁にはなりませんが、女の道に背き、幸兵衞と姦通いたしたのみならず、奸夫と謀《はか》って夫半右衞門を殺した大悪人でありますから、姦通の廉《かど》ばかりでも妻たるの道を失った者で、半右衞門がこれを知ったなら、妻とは致して置かんに相違ありません、然《さ》れば既に半右衞門の妻では無く、離縁したも同じ事で、離縁した婦《おんな》は仮令《たとえ》無瑕《むきず》でも、長二郎のために母で無し、まして大悪無道、夫を殺して奸夫を引入れ、財産を押領《おうりょう》いたしたのみならず、実子をも亡《うしな》わんといたした無慈悲の女、天道|争《いか》でこれを罰せずに置きましょう長二郎の孝心厚きに感じ、天が導いて実父の仇を打たしたものに違いないという理解に、家齊公も感服いたされまして、其の旨を御老中へ御沙汰に相成り、御老中から直《たゞ》ちに町奉行へ伝達されましたから、筒井和泉守様は雀躍《こおどり》するまでに喜ばれ、十一月二十九日に長二郎を始め囚人《めしゅうど》玄石茂二作、並に妻《つま》由其の他《た》関係の者一同をお呼出しになって白洲を立てられました。

        三十九

 此の日は筒井和泉守様は、無釼梅鉢《けんなしうめばち》の定紋《じょうもん》付いたる御召《おめし》御納戸《おなんど》の小袖に、黒の肩衣《かたぎぬ》を着け茶宇《ちゃう》の袴にて小刀《しょうとう》を帯し、シーという制止の声と共に御出座になりまして、
 奉行「訴人長二郎、浅草鳥越片町龜甲屋手代萬助、本所元町與兵衛[#「與兵衛」は底本では「與兵徳」と誤記]店恒太郎、下谷稲荷町徳平店茂二作並に妻由、越中国高岡無宿玄石、其の外町役人組合の者残らず出ましたか」
 町役「一同差添いましてござります」
 奉「茂二作並に妻由、其の方ども先日半右衞門妻柳が懐妊いたしたを承知せしは、当年より二十九ヶ年前、即ち寛政四|子年《ねどし》で、男子の出生《しゅっしょう》は其の翌年の正月十一日と申したが、それに相違ないか」
 茂「へい、相違ございません」
 奉「その小児の名は何と申した」
 由「半之助《はんのすけ》様と申しました」
 奉「フム、その半之助と申すは是なる長二郎なるが、何うじゃ、半右衞門に似て居ろうな」
 と云われ茂二作夫婦は驚いて、長二の顔を覘《のぞ》きまして、
 茂「成程能く似て居ります、のうお由」
 由「然《そ》うですよ、ちっとも気が付かなかったが、左様《そう》聞いて見るとねえ、旦那様にそっくりだ、へい此の方が半之助様で、何うして無事で実に不思議で」
 奉「ムヽ能う似て居《お》ると見えるな」
 と奉行は打笑《うちえ》まれまして、
 奉「半右衞門妻柳が懐妊中、其の方共が幸兵衞を取持って不義を致させたのであろう」
 茂「何ういたしまして、左様な事は」
 由「私《わたくし》どもの知らないうちに何時か」
 奉「何《いず》れにしても宜しいが、其の方共は幸兵衞と柳が密通いたして居《お》るを知って居ったであろう」
 茂「へい、それは」
 由「何か怪しいと存じました」
 奉「柳が不義を存じながら、主人半右衞門へ内々《ない/\》にいたし居ったは、其の方共も同家に奉公中密通いたし居ったのであろうがな」
 と星を指されて両人は赤面をいたし、何とも申しませんから、奉行は推察の通りであると心に肯《うなず》き、
 奉「左様《さよう》じゃによって幸兵衞を好《よ》きように主人へ執成《とりな》し、柳に※[#「「滔」の「さんずい」に代えて「言」」、第4水準2−88−72]諛《こびへつら》い、体よく暇《いとま》を取って、入谷へ世帯を持ち、幸兵衞を同居いたさせ置き、柳と密会を致させたのであろう、上《かみ》には調べが届いて居《お》るぞ、それに相違あるまい、何うじゃ恐れ入ったか」
 夫婦「恐入りました」
 奉「それのみならず、両人は半右衞門の病中柳の内意を受け、是れなる玄石に半右衞門を殺害《せつがい》する事を頼んだであろう、玄石が残らず白状に及んだぞ、それに相違あるまいな、何うじゃ、恐入ったか」
 夫婦「恐入りました」
 奉「長二郎、其の方は龜甲屋半右衞門の実子なること明白に相分りし上は、其の方が先月九日の夜《よ》、柳島押上堤において幸兵衞、柳の両人を殺害いたしたのは、十ヶ年前右両人のため、非業に相果てたる実父半右衞門の敵《かたき》を討ったのであるぞ、孝心の段上にも奇特に思召し、青差《あおざし》拾貫文《じっかんもん》御褒美下し置かるゝ有難く心得ませい、且《かつ》半右衞門の跡目相続の上、手代萬助は其の方において永の暇《いとま》申付けて宜かろう」
 萬「へい、恐れながら申上げます、何ういう贔屓か存じませんが余《あんま》り依估《えこ》の御沙汰《ごさた》かと存じます、成程幸兵衞は親の敵《かたき》でもござりましょうが、御新造は長二郎の母に相違ござりませんから、親殺しのお処刑《しおき》に相成るものと心得ますに、御褒美を下さりますとは、一円合点のまいりませぬ御裁判かと存じます」
 奉「フム、よう不審に心付いたが、依估の沙汰とは不埓な申分じゃ、其の方斯様な裁判が奉行一存の計《はから》いに相成ると存じ居《お》るか、一人《いちにん》の者お処刑に相成る時は、老中方の御評議に相成り上様へ伺い上様の思召をもって御裁許の上、老中方の御印文《ごいんもん》が据《すわ》らぬうちはお処刑には相成らぬぞ、其の方公儀の御用を相勤め居った龜甲屋の手代をいたしながら、其の儀相心得居らぬか、不束者《ふつゝかもの》めが」

        四十

 奉行は高声《こうせい》に叱りつけて、更に言葉を和《やわら》げられ、
 奉「半右衞門妻柳は、長二郎の実母ゆえ、親殺しと申す者もあろうが、親殺しに相成らぬは、斯ういう次第じゃ、柳は夫半右衞門|存生中《ぞんじょうちゅう》密夫《みっぷ》を引入れ、姦通致せし廉《かど》ばかりでも既に半右衞門の妻たる道を失って居《お》る半右衞門に於《おい》て此の事を知ったならば軽うても離縁いたすであろう、殊に奸夫幸兵衞と申合わせ窃《ひそ》かに半右衞門を殺した大悪非道な女じゃによって、最早半右衛門の妻でない、半右衛門の妻でなければ長二郎のために母でない、この道理を礼記と申す書物によって林大學頭より上様へ言上いたしたによって、長二郎は全く実父の敵である、他人の柳と幸兵衛を討取ったのであると御裁許に相成ったのじゃ、萬助分ったか」
 萬「恐入りました」
 奉「茂二作並に妻由、其の方共半右衞門方へ奉公中、主人妻柳に幸兵衞を取持ったるのみならず、柳の悪事に同
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