先《せん》の旦那|半右衛門《はんえもん》様が、御公儀の仕立物御用を勤めました縁で、私共も仕立職の方で出入をいたしましたので、へい」
奉「何歳の時から出入いたしたか」
茂「二十六歳の時から」
奉「当年何歳に相成る」
茂「五十五歳で」
奉「由は龜甲屋に奉公をいたせし趣《おもむき》じゃが、何歳の時奉公にまいった」
由「へい、私《わたくし》は十七の三月からでございますから」
と指を折って年を数え、
「もう廿八九年前の事でございます」
奉「其の後《ご》両人とも相変らず出入をいたして居ったのじゃな」
茂「左様でございます」
奉「して見ると其の方共|実体《じってい》に勤めて、主人の気に入って居ったものと見えるな」
由「はい、先《せん》の旦那様がまことに好《よ》いお方で、私共へ目をかけて下さいましたので」
奉「左様であろう、して柳と申す女は何時頃《いつごろ》半右衛門方へ嫁にまいったものか、存じて居ろうな」
茂「へい、私《わたくし》が奉公にまいりました年で、御新造《ごしんぞ》は其の時|慥《たし》か十八だと覚えて居ります」
奉「御新造とはお柳のことか」
茂「へい」
奉「して、半右衛門は其の時何歳であった」
茂「左様で」
と考えて、お由とさゝやき、指を折り、
茂「三十二三歳であったと存じます」
奉「当月九日の夜《よ》、柳島押上堤において長二郎のために殺害《せつがい》された幸兵衛という者は、如何なる身分職業で、龜甲屋方に入夫にまいるまで、何方《いずかた》に住居いたして居った者じゃ」
茂「幸兵衛は坂本二丁目の経師屋《きょうじや》桃山甘六《もゝやまかんろく》の弟子で、其の家が代替りになりました時、暇《いとま》を取って、それから私方《わたくしかた》に居りました」
奉「其の方宅に何個年《なんがねん》居ったか」
茂「左様でございます、彼是十年たらず居りました」
奉「フム大分《だいぶん》久しく居ったな」
茂「へい、随分厄介ものでございました」
奉「其の方の宅において幸兵衛は常に何をいたして居った」
茂「へい、只ぶら/\、いえ、アノ経師をいたして居りました」
奉「フム、由其の方は存じて居ろうが、龜甲屋の元の宅は根岸であったによって、坂本の経師職桃山が出入ゆえ、幸兵衛が屡々《しば/\》仕事にまいったであろう」
由「はい」
と云いにかゝるを茂二作が目くばせで止めましたから、慌てゝ咳払いに紛らし、
由「いゝえ、あの私《わたくし》は存じません」
奉「隠すな、隠すと其の方の為にならんぞ、奉行は宜《よ》く知って居《お》るぞ、幸兵衛が障子の張替えなどに度々まいったであろう」
由「はい、まいりました」
奉「左様《そう》であろう、して、幸兵衛が其の方の宅に居った時は経師職はいたさなんだと申す事じゃが、其の方共の家業の手伝でもいたして居ったのか、何うじゃ」
由「へい、証文を書いたり催促や何かを致して居りました」
奉「ムヽ、それでは貸附金の証文の書役《しょやく》などを致して居ったのじゃな、して其の貸付金は誰《たれ》の金《きん》じゃ」
茂「それは、へい私《わたくし》の所持金で」
奉「余ほど多分に貸付けてある趣じゃが、其の方|如何《いかゞ》して所持いたし居《お》るぞ、これは多分何者か其の方どもの[#「どもの」は底本では「もどの」と誤記]実体《じってい》なるを見込んで、貸付方を頼んだのであろう、いや由、何も怖がることは無い、存じて居《お》ることを真直《まっすぐ》に申せばよいのじゃ」
三十三
由「はい、その金《かね》は、へい先《せん》の旦那がお達者の時分から、御新造様がお小遣の内を少しずつ貸付けになさったので」
奉「フム、然《しか》らば半右衛門の妻《さい》柳が、出入の経師職幸兵衛を正直な手堅い者と見込んだゆえ、其の方の宅において貸付金の世話をいたさせたのじゃな、左様《そう》であろう、何うじゃ」
茂「左様《さよう》でございます」
奉「由其の方は女の事ゆえ覚えて居《お》るであろう、柳が初めて産をいたしたのは何年の何月で、男子であったか、女子であったか、間違えんように能く勘考して申せ」
由「はい」
と両手の指を折って頻りに年を数えながら、茂二作と何か囁《さゝ》やきまして、
由「申上げます……あれは今年から二十九年前で、慥か御新造が十九の時で、四月の二十日《はつか》に奥州へ行くと云って暇乞《いとまごい》にまいりました人に、旦那様が塩釜様《しおがまさま》のお符《ふだ》をお頼みなさったので、私《わたくし》は初めて御新造様が懐妊《みもち》におなりなさったのを知ったのでございます、御誕生は正月十一日お蔵開きの日で、お坊さんでございますから、目出たいと申して御祝儀《ごしゅうぎ》を戴いたのを覚えて居ります」
奉「ムヽ、柳が懐妊《かいにん》と分った月を存じて居《お》るか」
と奉行は暫らく眼《まなこ》を閉じて思案をいたされまして、
奉「由其の方はなか/\物覚えが宜いな、然らば幸兵衛が龜甲屋方へ初めてまいったのは何年の何月頃じゃか、それを覚えて居らんか」
由「はい、左様《さよう》」
と暫らく考えて居りましたが、突然《いきなり》に大きな声で、
由「思い出しました」
と奉行の顔を見上げて、
由「幸兵衛が初めてまいりましたのは、其の年の五月|絹張《きぬばり》の行灯《あんどん》が一対出来るので」
と茂二作の顔を見て、
由「それ、お前さんが桃山を呼びに行ったら、其の時幸兵衛さんが来たんだよ、御新造が美《い》い男だと云って、それ、あの」
と喋るのを茂二作が目くばせで止《とゞ》めても、お由は少しも気がつかずに、
由「別段に御祝儀をお遣んなさったのを、お前さんがソレ」
と余計なことを喋り出そうといたしますから、茂二作が気を揉んで睨《にら》めたので、お由も気が付いたと見えて、
由「へい、マア左様《そう》いうことで、それから私共《わたくしども》まで心安くなったので、其の初めは五月の二日でございます」
奉「して見ると柳の懐妊の分ったのは、寛政四年の四月で、幸兵衛が初めて龜甲屋へまいったのは同年五月二日じゃな、それに相違あるまいな」
茂「へい」
由「間違いございません」
奉「そうして其の出生《しゅっしょう》いたした小児は無事に成長致したか、何うじゃ」
由「くり/\肥《ふと》った好《い》いお坊さんでございましたが、御新造のお乳が出ませんので、八王子のお家《うち》へ頼んで里におやんなさいましたが、間も無く歿《なくな》ったそうでございます」
奉「その小児を八王子へ遣る時、誰《たれ》がまいった、親半右衛門でも連れてまいったか」
由「いゝえ、旦那様はお産があると間もなく、慥か二十日正月の日でございました、急な御用で京都へお出でになりましたから、御新造が御自分でお連れなされたのでござります」
奉「柳|一人《いちにん》ではあるまい、誰《たれ》か供をいたして参ったであろう」
由「はい、供には良人《やど》が」
奉「やどとは誰《だれ》の事じゃ」
茂「へい私《わたくし》が附いてまいりました」
奉「帰りにも其の方同道いたしたか」
茂「旦那が留守で宅《うち》が案じられるから、先へ帰れと仰しゃいましたから、私《わたくし》はお新造より先へ帰りました」
奉「柳の実家《さと》と申すは何者じゃ、存じて居《お》るか」
茂「へい八王子の千人同心だと申す事でございますが、家《うち》が死絶《しにた》えて、今では縁の伯母が一人あるばかりだと申すことでございますが、私《わたくし》は大横町《おおよこちょう》まで送って帰りましたから、先の家《うち》は存じません」
奉「其の方の外に一緒にまいった者は無いか」
茂「はい、誰《たれ》も一緒にまいった者はございません」
奉「黙れ、其の方は上《かみ》に対し偽りを申すな、幸兵衛も同道いたしたであろう」
茂「へい/\誠にどうも、宅《うち》からは誰《だれ》も外にまいった者はござりませんが、へい、アノ五宿《ごしゅく》へ泊りました時、幸兵衛が先へまいって居りまして、それから一緒にヘイ、つい古い事で忘れまして、まことにどうも恐入りました事で」
奉「フム、左様《さよう》であろう、して、柳は幾日《いくか》に出て幾日に帰宅をいたしたか存じて居ろう」
茂「へい左様……正月二十八日に出まして、あのう二月の二十日頃に帰りましたと存じます」
奉「それに相違ないか」
茂「相違ございません」
奉「確《しか》と左様か」
茂「決して偽りは申上げません」
奉「然らば追って呼出すまで、茂二作夫婦とも旅行は相成らんぞ、町役人共左様に心得ませい……立ちませい」
是にて此の日のお調べは済みました。
三十四
奉行は吟味中お由の口上で、図らずお柳の懐妊の年月《ねんげつ》が分ったので、幸兵衛が龜甲屋へ出入を初めた年月《としつき》を糺《たゞ》すと、懐妊した翌月《よくつき》でありますから、長二は幸兵衛の胤《たね》でない事は明白でございますが、お柳は実母に相違ありませんから、まだ親殺しの罪を遁《のが》れさせることは出来ません。是には奉行も殆《ほと》んど当惑して、最早長二を救うことは出来ぬとまで諦められました。
由「私《わたし》ア本当に命が三年ばかし縮まったよ」
茂「男でさえ不気味だもの、其の筈だ」
由「大屋さんは平気だねえ」
茂「そうサ、自分が調べられるのじゃアないからの事《こっ》た、此方《こち》とらはまかり間違えば捕縛《ふんじば》られるのだから怖《おっ》かねえ」
由「今日の塩梅じゃア心配しなくっても宜《い》いようだねえ」
茂「手前《てめえ》が余計なことを喋りそうにするから、己《おら》ア冷々《ひや/\》したぜ」
由「行く前に大屋さんから教わって置いたから、襤褸《ぼろ》を出さずに済んだのだ、斯ういう時は兀頭《はげ》も頼りになるねえ」
茂「それだから鰻で一杯飲ましてやったのだ」
由「鰻なぞを喰ったことが無いと見えて、串までしゃぶって居たよ」
茂「まさか」
由「本当だよ、お酒も彼様《あん》な好《い》いのを飲んだ事アないと見えて、大層酔ったようだった」
茂「己《おれ》も先刻《さっき》は甚《ひど》く酔ったが、風が寒いので悉皆《すっかり》醒《さ》めてしまった」
由「早く帰って、又一杯おやりよ」
と茂二作夫婦は世話になった礼心《れいごゝろ》で、奉行所から帰宅の途中、ある鰻屋へ立寄り、大屋|徳平《とくへい》に夕飯《ゆうめし》をふるまい、徳平に別れて下谷稲荷町の宅へ戻りましたのは夕|七時半《なゝつはん》過で、空はどんより曇って北風が寒く、今にも降出しそうな気色《けしき》でございますので、此の間から此の家の軒下を借りて、夜店を出します古道具屋と古本屋が、大きな葛籠《つゞら》を其処へ卸して、二つ三つ穴の明いた古薄縁《ふるうすべり》を前へ拡《ひろ》げましたが、代物《しろもの》を列《なら》べるのを見合せ、葛籠に腰をかけて煙草を呑みながら空を眺めて居ります。
茂「やア道具屋さんも本屋さんも御精が出ます、何だか急に寒くなって来たではありませんか」
道「お帰りですか、商売|冥利《みょうり》ですから出ては見ましたが、今にも降って来そうですから、考えているんです」
茂「こういう晩には人通りも少ないからねえ」
本「左様《そう》ですが天道干《てんとうぼし》という奴ア商いの有無《あるなし》に拘わらず、毎晩《めいばん》同《おんな》じ所《とけ》え出て定店《じょうみせ》のようにしなけりゃアいけやせんから、寒いのを辛抱して出て来たんですが、雪になっちゃア当分喰込みです」
茂「雪は後《あと》が長くわるいからね」
と立話をしておりますうち、お由が隣へ預けて置いた入口の締《しまり》の鍵を持って来て[#「来て」は底本では「来って」と誤記]、格子戸を明けましたから、茂二作は内へ入り、お由は其の足で直《すぐ》に酒屋へ行って酒を買い、貧乏徳利《びんぼうどくり》を袖に隠して戻りますと、茂二作は火種にいけて
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