では、復讐《かたきうち》の外は人を殺せば大抵死罪と決って居りますから、何分長二を助命いたす工夫がございませんので、筒井侯も思案に屈し、お居間に閉籠《とじこも》って居られますを、奥方が御心配なされて、
奥「日々《にち/\》の御繁務《ごはんむ》さぞお気疲れ遊ばしましょう、御欝散《ごうっさん》のため御酒でも召上り、先頃召抱えました島路《しまじ》と申す腰元は踊が上手とのことでございますから、お慰みに御所望《ごしょもう》遊ばしては如何《いかゞ》でございます」
和泉「ムヽ、その島路と申すは出入町人助七の娘じゃな」
奥「左様にございます」
和「そんなら踊の所望は兎も角も、これへ呼んで酌を執《と》らせい」
と御意《ぎょい》がございましたから、時を移さずお酒宴の支度が整いまして、殿様附と奥方《おくさま》附のお小姓お腰元奥女中が七八人ずらりッと列《なら》びまして、雪洞《ぼんぼり》の灯《あかり》が眩《まぶ》しいほどつきました。此の所へ文金《ぶんきん》の高髷《たかまげ》に紫の矢筈絣《やはずがすり》の振袖で出てまいりましたのは、浅草蔵前の坂倉屋助七の娘お島で、当お邸《やしき》へ奉公に上《あが》り、名を島路と改め、お腰元になりましたが、奥方《おくがた》附でございますから、殿様にはまだお言葉を戴いた事がありません、今日のお召は何事かと心配しながら奥方の後《うしろ》へ坐って、丁寧に一礼をいたしますを、殿様が御覧遊ばして、
和「それが島路か、これへ出て酌をせい」
との御意でありますから、島路は恐る/\横の方へ進みましてお酌を致しますと、殿様は島路の顔を見詰めて、盃の方がおるすになりましたから、手が傾いて酒が翻《こぼ》れますのを、島路が振袖の袂で受けて、畳へ一滴もこぼしません、殿様はこれに心付かれて、残りの酒を一口に飲みほして、盃を奥方へさゝれましたから、島路は一礼をして元の席へ引退《ひきさが》ろうと致しますのを、
和「島路待て」
と呼留められましたので、並居る女中達は心の中《うち》で、さては御前様は島路に思召があるなと互に袖を引合って、羨ましく思って居ります、島路はお酒のこぼれたのを自分の粗相とでも思召して、お咎めなさるのではあるまいかと両手を突いたまゝ、其処《そこ》に居ずくまっておりますと、殿様は此方《こっち》へ膝を向けられました。
三十
和「ちょっと考え事を致して粗相をした、免《ゆる》せ……其方《そち》に尋ねる事があるが、其方も存じて居《お》るであろう、其方の家へ出入をする木具職の長二郎と申す者は、当時江戸一番の名人であると申す事を、其方の父から聞及んで居るが、何ういう人物じゃ、職人じゃによって別に取※[#「てへん+丙」、第4水準2−13−2]《とりえ》はあるまいが、何ういう性質の者じゃ、知らんか」
との御意に、島路は予《かね》て長二が伎倆《うでまえ》の優れて居《お》るに驚いて居るばかりでなく、慈善を好む心立《こゝろだて》の優しいのに似ず、金銭や威光に少しも屈せぬ見識の高いのに感服して居ります事ゆえ、お尋ねになったを幸い、お邸《やしき》のお出入にして、長二を引立てゝやろうとの考えで、
島「お尋ねになりました木具職の長二郎と申します者は、親共が申上げました通り、江戸一番の名人と申す事で、其の者の造りました品は百年経っても狂いが出ませず、又何程|粗暴《てあら》に取扱いましても毀れる事がないと申すことでございます、左様な名人で多分な手間料を取りますが、衣類などは極々《ごく/″\》質素で、悪遊びをいたさず、正直な貧乏人を憐れんで救助するのを楽《たのし》みにいたしますに就《つい》ては、女房があっては思うまゝに金銭を人に施すことが出来まいと申して、独身で居ります程の者で、職人には珍らしい心掛で、其の気性の潔白なのには親共も感心いたして居ります」
和「フム、それでは普通の職人が動《やゝ》ともすると喧嘩口論をいたして、互に疵をつけたりするような粗暴な人物じゃないの」
島「左様でございます、あゝいう心掛では無益な喧嘩口論などは決して致しますまいと存じます、殊に御酒は一滴も戴きませんと申す事でございますゆえ、過《あやま》ちなどは無いことゝ存じますが、只今申上げました通り潔白な気性でございますゆえ、他《ひと》から恥辱でも受けました節は、その恥辱を雪《すゝ》ぐまでは、一命を捨てゝも飽くまで意地を張るという性根の確《しっ》かりいたした者かとも存じます」
和「ムヽ左様《そう》じゃ、其方《そち》の目は高い……長二郎は左様いう男だろうが、同人の親達は何ういう者か其方は知らんか」
島「一向に存じません」
和「そんなら誰か長二郎の素性や其の親達の身の上を存じて居《お》る者はないか、其方は知らんか」
と根強く長二郎のことを穿鑿《せんさく》される仔細が分りませんから、奥方が不審に思われまして、
島「御前様、その長二郎とか申す者のことをお聞き遊ばして、如何《いかゞ》遊ばすのでござります」
と尋ねられたので、殿様は長二郎を助ける手段もあろうかとの熱心から、うか/\島路に根問いをした事に心付かれましたが、お役向の事を此の席で話すわけにも参りませんから、笑いに紛らして、
和「何サ、その長二郎と申す者は役者のような美《よ》い男じゃによって、島路が懸想でもして居《お》るなら、身が助七に申聞けて夫婦《みょうと》にしてやろうと思うたのじゃ」
と一時の戯《たわむれ》にして此の場の話を打消そうと致されましたのを、女中達は本当の事と思って、羨ましそうに何《いず》れも島路の方《かた》へ目を注ぎますので、島路は羞《はず》かしくもあり、又思いがけない殿様の御意に驚き、顔を赧《あか》らめて差俯《さしうつむ》いて居りますを、奥方は気の毒に思召して、
「如何《いか》に御前様の御意でも、こりゃ此の所では御挨拶が成りますまいのう島路」
と奥方にまで問詰められて、島路は返答に困り、益々顔を赧くしてもじ/\いたして居りますと、女中達は羨ましそうに、
春野「島路さん、何をお考え遊ばします、願ってもない御前様の御意、私《わたくし》なら直《すぐ》にお受けをいたしますのに、お年がお若いせいか、ぐず/\して」
常夏「春野さんの仰しゃる通り、此の様な有難い事はござんせぬ、それとも殿御の御器量がお錠口《じょうぐち》の金壺《かねつぼ》さんのようなら、私《わたくし》のような者でも御即答は出来ませんが、その長二郎さんという方は役者のような男だと御前様が仰しゃったではござりませぬか」
千草「そのうえお仕事が江戸一番の名人で、お金が沢山儲かるとの事」
早咲「そればかりでも結構すぎるに、お心立が優しくって、きりゝと締った所があるとは、嘘のような殿御振り、お話を承わりましたばかりで私《わたくし》はつい、ホヽ……オホヽヽヽ」
と女中達のはしたなきお喋りも一座の興でございます。
三十一
殿様は御機嫌よろしく打笑《うちえ》まれまして、
和「どうじゃ島路、皆の者は話を聞いたばかりで彼様《かよう》に浮れて居《お》るに、其方は何故《なぜ》鬱《ふさ》ぐのじゃ」
と退引《のっぴき》のならんお尋ねを迷惑には思いましたが、此の所で一言《いちごん》申しておかなければ、殿様が自分を他《ほか》の女中達のように思召して、万一父助七へ御意のあった時は、否《いな》やを申上げることも出来ぬと思いましたから、羞かしいのを堪《こら》えまして、少し顔を上げ、
島「だん/\の御意は誠に有難う存じますが、何卒《どうぞ》此の儀は御沙汰止《ごさたやみ》にお願い申上げます、長二郎は伎倆《うでまえ》と申し心立と申し、男として不足の廉《かど》は一つもございませんが、私《わたくし》家は町人ながらも系図正しき家筋でございますれば、身分違いの職人の家へ嫁入りを致しましては、第一先祖へ済みませず、且《かつ》世間で私の不身持から余儀なく縁組を致したのであろうなぞと、風聞をいたされますのが心苦しゅうございますれば、何卒《なにとぞ》此の儀は此の場ぎり御沙汰止にお願い申上げます」
ときっぱり申述べました。追々世の中が開《ひら》けて、華族様と平民と縁組を致すようになった当今のお子様方は、この島路の口上をお聞きなすっては、開けない奴だ、町人と職人と何程《どれほど》の違《ちがい》がある、頑固にも程があると仰しゃいましょうが、其の頃は身分という事がやかましくなって居りまして、お武家と商人《あきんど》とは縁組が出来ません、拠所《よんどころ》なく縁組をいたす時は、其の身分に応じて仮親を拵《こしら》えますことで、商人と職人の間にも身分の分《わか》ちが立って居りました、殊に身柄のある商人はお武家が町人百姓を卑しめる通り、職人を卑しめたものでございますから、島路は長二郎を不足のない男とは思って居りますが、物の道理を心得て居《お》るだけに、此の御沙汰を断ったのでございます。殿様は元来|左様《そう》いう思召《おぼしめし》ではなく、只此の場の話を紛らせようと、戯れ半分に仰しゃったお言葉が本当になったので、取返しがつかず、困っておられた処へ、島路が御沙汰止を願いましたから、これを幸いに、
和「おゝ、何も身が無理に左様《そう》いうのではない、左様いうことなら今の話は止《や》めにするから、島路大儀じゃが下物《さかな》に何か一つ踊って見せい」
と踊りの御所望《ごしょもう》がございましたから、女中達は俄に浮き立ちまして、それ/″\の支度をいたし、さア島路さん、早くと急《せ》き立てられて、島路は迷惑ながら一旦其の席を引退《ひきさが》りまして、斯様《かよう》な時の用心に宿から取寄せて置いた衣裳を着けて出ました、容貌は一段に引立って美しゅうございまして、殿様が早くとのお詞《ことば》に随い、島路は憶する色なく立上りまして、珠取《たまとり》の段を踊りますを、殿様は能くも御覧にならず、何か頻《しき》りに御思案の様子でございましたが、踊の半頃《なかごろ》で、
和「感服いたした、最《も》うよい、疲れたであろう、休息いたせ」
と踊を差止め、酒肴《さけさかな》を下げさせ、奥方を始め女中達を遠ざけられて、俄に腹心の吟味与力|吉田駒二郎《よしだこまじろう》と申す者をお召になりまして、夜《よ》の更けるまで御密談をなされたのは、全く長二郎の一件に就いて、幸兵衛夫婦の素性を取調べる手懸りを御相談になったので、略《ほゞ》探索の方も定まりましたと見え、駒二郎は御前を退《しりぞ》いて帰宅いたし、直に其の頃探偵|捕者《とりもの》の名人と呼ばれた金太郎《きんたろう》繁藏《しげぞう》という二人の御用聞を呼寄せて、御用の旨を申含めました。
三十二
町奉行筒井和泉守様は、長二郎ほどの名人を失うは惜《おし》いから、救う道があるなら助命させたいと思召す許《ばか》りではございません、段々吟味の模様を考えますと、幸兵衛夫婦の身の上に怪しい事がありますから、これを調べたいと思召したが、夫婦とも死んで居ります事ゆえ、吟味の手懸りがないので、深く心痛いたされまして、漸々《よう/\》に幸兵衛が龜甲屋お柳方へ入夫《にゅうふ》になる時、下谷稲荷町の美濃屋茂二作《みのやもじさく》と其の女房お由《よし》が媒妁《なこうど》同様に周旋をしたということを聞出しましたから、早速お差紙《さしがみ》をつけて、右の夫婦を呼出して白洲を開かれました。
奉行「下谷稲荷町|徳平店《とくべいたな》茂二作、並《ならび》に妻《さい》由、其の他名主、代組合の者残らず出ましたか」
町役「一同差添いましてござります」
奉「茂二作夫婦の者は長年龜甲屋方へ出入《でいり》をいたし、柳に再縁を勧め、其の方共が媒妁《なかだち》をいたして、幸兵衛と申す者を入夫にいたせし由じゃが、左様《さよう》か」
茂「へい左様でございます」
由「それも私共《わたくしども》が好んで致したのではございません、拠《よんどころ》なく頼まれましたので」
奉「如何なる縁をもって其の方共は龜甲屋へ出入をいたしたのか」
茂「それはあの龜甲屋の
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