る事は出来ません……何卒《どうぞ》只人を殺しました廉《かど》で御処刑《おしおき》をお願い申します」
 奉「幸兵衛手代萬助」
 萬「へい」
 奉「これなる長二郎は幸兵衛方へ出入《でいり》をいたしおった由じゃが、何か遺恨を挟《さしはさ》むような事はなかったか、何うじゃ」
 萬「へい、恐れながら申上げます、長二郎は指物屋でございますから、昨年の夏頃から度々《たび/″\》誂《あつら》え物をいたし、多分の手間代を払い、主人夫婦が格別贔屓にいたして、度々長二郎の宅へも参りました、其の夜死骸の側に五十両の金包が落ちて居りましたのをもって見ますと、長二郎が其の金を奪《と》ろうとして殺しまして、何かに慌てゝ金を奪らずに遁《に》げたものと考えます」
 奉「長二郎どうじゃ、左様《さよう》か」
 長「其の金は私《わたくし》が貰ったのを返したので、金なぞに目をくれるような私じゃアございません」
 奉「然《しか》らば何故に殺したのじゃ、其の方の為になる得意先の夫婦を殺すとは、何か仔細がなければ相成らん、有体《ありてい》に申せ」
 恒「恐れながら申上げます、長二は差上げました書面の通り、私《わたくし》親共の弟子でございまして[#「ございまして」は底本では「ございましで」と誤記]、幼少の時から親孝心で実直で、道楽ということは怪我にもいたしませんで、余計な金があると正直な貧乏人に施すくらいで、仕事にかけては江戸一番という評判を取って居りますから、金銭に不自由をするような男ではござりませんから、悪心があってした事では無いと存じます」
 源「申上げます、只今恒太郎から申上げました通り、長二郎は六年ほど私《わたくし》店内《たなうち》に住居いたしましたが只の一度夜|宅《うち》を明けたことの無い、実体《じってい》な辛抱人で、店賃は毎月十日前に納めて、時々釣は宜《い》いから一杯飲めなぞと申しまして、心立《こゝろだて》の優しい慈悲深い性《たち》で、人なぞ殺すような男ではござりません」
 萬「へい申上げます、私《わたくし》主人方で昨年の夏から長二に払いました手間料は、二百両足らずに相成ります、此の帳面を御覧を願います」
 と差出す帳面を同心が取次いで、目安方が読上げます。
 奉「この帳面は幸兵衛の自筆か」
 萬「へい左様でございます、此の通り格別贔屓にいたしまして、主人の妻《さい》は長二郎に女房の世話を致したいと申して居りましたから、私《わたくし》の考えますには、其の事を長二郎に話しましたのを長二郎が訝《おか》しく暁《さと》って、無礼な事でも申しかけたのを幸兵衛に告げましたので、幸兵衛が立腹いたして、身分が身分でございますから、後《あと》で紛紜《いさくさ》の起らないように、出入留《でいりどめ》の手切金を夫婦で持ってまいったもんですから、此の事が世間へ知れては外聞にもなり、殊に恋のかなわない口惜紛《くやしまぎ》れに、両人を殺したんであろうかとも存じます」
 奉「長二郎、此の帳面の通り其の方手間料を受取ったか而《そう》して柳が其の方へ嫁の口入《くにゅう》をいたしたか何うじゃ」
 長「へい、よくは覚えませんが、其の位受取ったかも知れませんが、決して余計な物は貰やアしません、又嫁を貰えと云った事はありましたが、私《わたくし》が無礼なことを云いかけたなぞとは飛んでもない事でございます」
 奉「それはそれで宜しいが、何故《なぜ》斯様に贔屓になる得意の恩人を殺したのじゃ、何ういう恨《うらみ》か有体に申せ」
 長「別に恨というはございませんが、只あの夫婦を殺したくなりましたから殺したのでございます」
 奉「黙れ……其の方天下の御法度《ごはっと》を心得ぬか」
 長「へい心得て居りますから、遁《に》げ隠れもせずにお訴え申したのでございます」
 奉「黙れ……有体に申上げぬは御法に背くのじゃ、こりゃ何じゃな、其の方狂気いたして居《お》るな」
 恒「申上げます、仰せの通り長二郎は全く逆上《のぼ》せて居《お》ると存じます、平常《ふだん》斯ういう男ではございません、私《わたくし》親共は今年《こんねん》六十七歳の老体で、子供の時分から江戸一番の職人にまで仕上げました長二郎の身を案じて、夜も碌に眠りません程でございますによって、何卒《なにとぞ》老体の親共を不便《ふびん》と思召して、お慈悲の御沙汰《ごさた》をお願い申します、全く気違に相違ございませんから」
 萬「成程気違だろう、主《ぬし》のある女に無理を云いかけて、此方《こっち》で内証にしようと云うのを肯《き》かずに、大恩のある出入場の旦那夫婦を殺すとア、正気の沙汰ではございますまい」
 奉「萬助……其の方の主人夫婦を殺害いたした長二郎は狂人で、前後の弁《わきま》えなくいたした事と相見えるが何うじゃ」
 萬「へい、左様でございましょう」
 奉「町役人共は何と思う、奉行は狂気じゃと思うが何うじゃ」
 一同「お鑑定《めがね》の通りと存じます」
 とお受けをいたしました。仔細を知りませんから、長二が人を殺したのは全く一時発狂をいたした事と思うたのでございましょうが、奉行は予《かね》て邸《やしき》へ出入をする蔵前の坂倉屋の主人から、長二の身持の善《よ》き事と伎倆《うでまえ》の非凡なることを聞いても居り、且《かつ》長二が最初に親の恥になるから仔細は云えぬと申した口上に意味がありそうに思われますから悪意があって、殺したので無いということは推察いたし、何卒《どうか》此の名人を殺したく無いとの考えで取調べると、仔細を白状しませんから、これを幸いに狂人にして命を助けたいと、語《ことば》を其の方へ向けて調べるのを、怜悧《りこう》な恒太郎が呑込んで、気違に相違ないと合槌《あいづち》を打つに、引込まれるとは知らず萬助までが長二を悪くする積りで、正気の沙汰でないと申しますから、奉行は心の内で窃《ひそ》かに喜んで、一同に念を押して、愈々《いよ/\》狂人の取扱いにしようと致しますと、長二は案外に立腹をいたしまして、両眼《りょうがん》に血を濺《そゝ》ぎ、額に青筋を現わし拳を握りつめて、白洲の隅まで響くような鋭き声で、
 長[#「長」は底本では「奉」と誤記]「御奉行《ごぶぎょう》様へ申上げます」
 と云って奉行の顔を見上げました。

        二十八

 さて長二郎が言葉を更《あらた》めて奉行に向いましたので、恒太郎を始め家主源八其の他《た》の人々は、何事を云出すか、お奉行のお慈悲で助命になるものを今さら余計なことを云っては困る、而《し》て見ると愈々本当の気違であるかと一方《ひとかた》ならず心配をして居りますと、長二は奉行の顔を見上げまして、
 長「私《わたくし》は固《もと》より重い御処刑《おしおき》になるのを覚悟で、お訴え申しましたので、又此の儘生延びては天道様《てんとうさま》へ済みません、現在親を殺して気違だと云われるを幸いに、助かろうなぞという了簡は毛頭ございません、親殺しの私ですから、何卒《どうぞ》御法通りお処刑《しおき》をお願い申します」
 奉「フム……然《しか》らば幸兵衛夫婦を其の方は親と申すのか」
 長「左様でございます」
 奉「何ういう仔細で幸兵衛夫婦を親と申すのじゃ、其の仔細を申せ」
 長「此の事ばかりは親の恥になりますから申さずに御処刑を受けようと思いましたが、仔細を云わなけりゃア気違だと仰しゃるから、致し方がございません、其の理由《わけ》を申上げますから、お聞取りをお願い申します」
 とそれより自分の背中に指の先の入る程の穴があるのを、九歳《こゝのつ》の時初めて知って母に尋ねると、母は泣いて答えませんので、自分も其の理由を知らずにいた処、去年の十一月職人の兼松と共に相州の湯河原で湯治中、温泉宿へ手伝に来た婆さんから自分は棄児《すてご》であって、背中の穴は其の時受けた疵である事と、長左衛門夫婦は実《まこと》の親でなく、実の親は名前は分らないが、斯々云々《かく/\しか/″\》の者で、自分達の悪い事を掩《おお》わんがために棄てたのであるという事を初めて知って、実の親の非道を恨み、養い親の厚恩に感じて、養い親のため仏事を営み、菩提所の住持に身の上を話した時、幸兵衛に面会したのが縁となり、其の後《のち》種々《いろ/\》の注文をして過分の手間料を払い、一方《ひとかた》ならず贔屓にして、度々尋ねて来る様子が如何にも訝《おか》しくあり、殊に此の四月夫婦して尋ねて来た時、お柳が急病を発《おこ》し、また此の九月柳島の別荘で余儀なく身の上を話して、背中の疵を見せると、お柳が驚いて癪《しゃく》を発した様子などを考えると、お柳は自分を産んだ実の母らしく思えるより、手を廻して幸兵衛夫婦の素性を探索すると、間違いなさそうでもあり、また幸兵衛が菩提所の住持に自分の素性を委《くわ》しく尋ねたとの事を聞き、幸兵衛夫婦も自分を実子と思っては居《お》れど、棄児にした廉《かど》があるから、今さら名告《なの》りかね、余所《よそ》ながら贔屓にして親しむのに相違ないと思う折から、去る九日《こゝのか》の夕方《ゆうかた》夫婦して尋ねて来て、親切に嫁を貰えと勧め、その手当に五十両の金を遣るというので、もう間違いはないと思って、自分から親子の名告をしてくれと迫った処、お柳は顕《あら》われたと思い、恟《びっく》りして逃出そうとする、幸兵衛は其の事が知れては身の上と思ったと見え、自分を気違だの騙《かたり》だのと罵《のゝし》りこづきまわして、お柳の手を取り、逃帰ったが、斯様《こん》な人から、一文半銭たゞ貰う謂《いわ》れがないから、跡に残っていた五十両の金を返そうと二人を逐《おい》かけ、先へ出越して待っている押上堤で、図らずお柳の話を聞き正《まさ》しく実の母親と知ったから、飛出して名告ってくれと迫るを、幸兵衛が支えて、粗暴を働き、短刀を抜いて切ろうとするゆえ、これを奪い取ろうと悶着の際、両人に疵を負わせ、遂に落命させしと、一点の偽りなく事の顛末《てんまつ》を申し立てましたので、恒太郎源八を始め、孰《いず》れも大きに驚き、長二の身の上を案じ、大抵にしておけと云わぬばかりに、源八が窃《そっ》と長二の袖を引くを、奉行は疾《はや》くも認められまして、
 奉「こりゃ止むるな、控えておれ」

        二十九

 奉「長二郎、然《しか》らば其の方は全く両親を殺害《せつがい》致したのじゃな」
 長「へい……まア左様《そう》いう次第ではございますが、幸兵衛という人は本当の親か義理の親か未だ判然《はっきり》分りません」
 奉「左様《さよう》か……こりゃ萬助、其の方幸兵衛と柳が夫婦になったのは何時《いつ》か存じて居《お》るか」
 萬「へい、たしか五ヶ年前と承わりましたが、私《わたくし》は其の後《のち》に奉公住《ほうこうずみ》をいたしましたので」
 奉「夫婦の者は当年何歳に相成るか存じて居《お》るか」
 萬「へい幸兵衛は五十三歳で、柳は四十七歳でございます」
 奉「左様か」
 と奉行は眼《まなこ》を閉じて暫時《ざんじ》思案の様子でありましたが、白洲を見渡して、
 奉「長二郎、只今の申立てに聊《いさゝ》かも偽りはあるまいな」
 長「けちりんも嘘は申しません」
 奉「追って吟味に及ぶ、長二郎入牢申付ける、萬助恒太郎儀は追って呼出《よびいだ》す、一同立ちませい」
 是にて此の日のお調べは相済みましたが、筒井侯は前《ぜん》にも申述べました通り、坂倉屋の主人又は林大學頭様から、長二の伎倆《うでまえ》の非凡なる事を聞いておられますから、斯様な名人を殺すは惜《おし》いもの、何とかして助命させたいとの御心配で、狂人の扱いにしようと思召したのを、長二は却《かえ》って怒り、事実を明白に申立てたので、折角の心尽しも無駄になりましたが、その気性の潔白なるに益々《ます/\》感服致されましたから、猶工夫をして助命させたいと思召し、一先《ひとま》ず調べを止《や》めてお邸《やしき》へ帰られました。当今は人殺《ひとごろし》にも過失殺故殺謀殺などとか申して、罪に軽重《けいじゅう》がございますから、少しの云廻しで人を殺しても死罪にならずにしまいますが、旧幕時代の法
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