の長二も驚き、まご/″\する兼松に目くばせをして、其の辺に飛散っている書棚の木屑を片付けさせながら、
 長「へい、これはどうも恐入りました、此の通り取散かしていますが、何卒《どうぞ》此方《こちら》へ」
 と蓆《ござ》の上の鉋屑を振《ふる》って敷直しますから、助七は会釈をして其処《そこ》へ坐りました。

        三

 助「御高名は予《かね》て承知していましたが、つい掛違いまして」
 長「私《わたくし》もお名前は存じて居りますが、用がありませんからお目にかゝりませんでした、シテ御用と仰しゃるのは」
 助「はい、お願い申すこともございますが先刻のお詫をいたします……三吉……そこへ出てお詫をしろ」
 三吉は不承々々な顔付で上り口に両手をつきまして、
 三「親方さん先刻《さっき》は口上を間違えまして失礼を致しました、何卒《どうか》御免なさい」
 とお辞儀をいたしますを、長二は不審そうに見ておりましたが、[#「、」は底本では「。」]
 長「へい何《なん》でしたか小僧さん、何も謝る事アありません……えゝ旦那……先刻《さっき》お迎いでしたが、出ぬけられませんからお断り申したんで」
 助「それが間違いで、先刻《せんこく》三吉《これ》に、親方に願いたい事があるから宅《うち》に御座るか聞いて来いと申付けたのを間違えて、親方に来てくださるように申したとの事でございます」
 長「ムヽ左様《そう》いう事ですか、訳さえ分れば宜《い》いじゃアありませんか、それより御用の方をお聞き申しましょう」
 助「そんならお話し申しますが、実は私《わたくし》先年から心掛けて、先祖の位牌を入れて置く仏壇を拵えようと思って、三宅島の桑板の良いのを五十枚ほど購《もと》めましたが、此の仏壇は子孫の代までも永く伝わる物でもあり、又火事に焼けてならんものですから、非常の時は持って逃げる積りです、混雑の中では取落す事もあり、又他から物が打付《ぶッつか》る事もありますゆえ、余ほど丈夫でなければなりませんが、丈夫一式で木口《きぐち》が橋板のように馬鹿に厚くっては、第一重くもあり、お飾り申した処が見にくゝって勿体ないから、一寸《ちょっと》見た処は通例の仏壇のようで、大抵な事では毀《こわ》れませんように、極《ごく》丈夫に拵えたいという無理な注文でもございますし、それに位牌を入れる物ですから、成るべくは根性の卑しい粗忽《そこつ》な職人に指させたくないと思って、職人を捜して居りました処、親方はお心掛が潔白で、指物にかけては京都の利齋当地の清兵衛親方にも優《まさ》るという評判を聞及びましたから、此の仕事をお願い申したいので、手間料には糸目をかけません、何うぞ私《わたくし》が先祖への孝行にもなる事でございますから、この絵図面を斟酌《しんしゃく》して一骨《ひとほね》折ってはくださるまいか」
 と仏壇の絵図面を見せますと、長二は寸法などを見較べまして、
 長「成程随分難かしい仕事ですが、宜《よ》うがす、此の工合《ぐあい》に遣《や》ってみましょう…だが急いじゃアいけませんよ、兎も角も板を遣《よこ》してお見せなさい、板の乾き塩梅《あんばい》によっちゃア仕事の都合がありますから」
 助「はい、承知いたしました……そんなら明朝《みょうあさ》板をよこすことに致しましょう……えゝ是は少のうございますが、御注文を申した印までに上げて置きます」
 と金子を十五両鼻紙に載せて差出しますを、長二は宜《よ》く見もいたさずに押戻しまして、
 長「板をよこして注文なさるんですから手金なんざア要《い》りません、出来上って見なければ手間も分りませんから、是はお預け申して置きます」
 助「左様いう事ならお預かり申して置きますから、御入用《ごいりよう》の節は何時《なんどき》でも仰しゃってお遣《つか》わしなさい」
 と金子を懐中に納めまして、
 助「これはお仕事のお邪魔を致しました……そんなら何分《なにぶん》宜しくお願い申します、お暇というはございますまいけれど、自然浅草辺へお出での節はお立寄り下さい」
 と暇《いとま》を告げて助七は立帰り、翌日桑の板を持たせて遣りましたが、其の後《のち》長二から何《なん》の沙汰もございません。助七は待遠《まちどお》でなりませんが、長二が急いではいけないと申した口上がありますから、下手に催促をしたら腹を立つだろうと我慢をして待って居りますと、七月目《なゝつきめ》に漸々《よう/\》出来上って、長二が自身に持ってまいりましたから、助七は大喜びで、長二を奥の座敷へ通しました。此の時助七は五十三歳で、女房は先年|歿《なくな》って、跡に二十一歳になる忰《せがれ》の助藏《すけぞう》と、十八歳のお島《しま》という娘があります。助七は待ちに待った仏壇が出来た嬉しさに、助藏とお島は勿論、店の番頭手代までを呼び集めて、一々長二に引合わせ、仏壇を見せて其の伎倆《うでまえ》を賞《ほ》め、長二を懇《ねんごろ》にもてなしました。

        四

 助「時に親方、つかん事を聞くようだが、先頃尋ねた折《おり》台所《だいどこ》にいたのは親方のお母《ふくろ》さんかね」
 長「いゝえ、お母は私《わたくし》が十七の時死にました、あれは飯焚《めしたき》の雇い婆さんです」
 助[#「助」は底本では「長」と誤記]「そんなら未だ家内は持たないのかね」
 長「はい、嚊《かゝあ》があると銭のことばかり云って仕事の邪魔になっていけませんから持たないんです」
 助「親方のように稼げば、銭に困ることはあるまいに」
 長「銭は随分取りますが、持っている事が出来ない性分ですから」
 助「職人衆は皆《みん》な然《そ》うしたものだが、親方は何が道楽だね」
 長「何も道楽というものあないんですが、只正直な人で、貧乏をしている者を見ると気の毒でならないから、持ってる銭をくれてやりたくなるのが病です」
 助「フム良《い》い病だ……面白い道楽だが、貧乏人に余《あんま》り金を遣りすぎると却《かえ》って其の人の害になる事があるから、気を付けなければいけません」
 長「其のくれえの事ア知っています、其の人の身分相応に恵まないと、贅沢をやらかしていけません」
 助「感心だ……名人になる人は異《かわ》ったものだ、のうお島」
 島「左様《さよう》でございます、誠に善《よ》いお心掛で」
 と長二の顔を見る途端に、長二もお島の顔を見ましたから、お島は間の悪そうに眼もとをぽうッと赧《あか》くして下を向きます。長二は此の時二十八歳の若者で、眼がきりゝとして鼻筋がとおり、何処《どこ》となく苦味ばしった、色の浅黒い立派な男でございますが、酒は嫌いで、他の職人達が婦人の談《はなし》でもいたしますと怒《おこ》るという程の真面目な男で、只腕を磨く一方にのみ身を入れて居りますから、外見《みえ》も飾りもございません。今日坂倉屋へ注文の品を納めにまいりますにも仕事着のまゝで、膝の抜けかゝった盲縞《めくらじま》の股引に、垢染みた藍《あい》の万筋《まんすじ》の木綿袷《もめんあわせ》の前をいくじなく合せて、縄のような三尺を締め、袖に鉤裂《かぎざき》のある印半纏《しるしばんてん》を引掛《ひっか》けていて、動くたんびに何処からか鋸屑《のこぎりくず》が翻《こぼ》れるという始末でございますから、お島は長二を美《い》い男とは思いませんが、予《かね》て父助七から長二の行いの他《ひと》に異《かわ》っていることを聞いて居ります上に、今また年に似合わぬ善《よ》い心掛なのを聞いて深く心に感じ、これにひきかえて兄の助藏が放蕩に金銭を使い捨てるに思い較べて、窃《ひそ》かに恥じましたから、ちょっと赤面致したので、また長二もお島を見て別に美しいとも思いませんが、是まで貧民に金銭を施すのを、職人の分際で余計な事だ、馬鹿々々しいから止せと留める者は幾許《いくら》もありましたが、褒める人は一人もありませんでしたに、今十七か十八のお嬢さんが褒めたのでありますから、長二は又お島が褒めた心に感心を致して、其の顔を見たのでございます。助七はそれらの事に毫《すこし》も心づかず、
 「親方の施し道楽は至極結構だが、女房を持たないと活計向《くらしむき》に損がありますから、早く良《い》いのをお貰いなさい」
 長「そりゃア知っていますが、女という奴ア吝《けち》なもんで、お嬢さんのように施しを褒めてくれる女はございませんから持たないんです」
 助「フム左様さ、女には教えがないから、仁だの義だのという事は分らないのは道理《もっとも》だ、此の娘なぞは良《よ》い所へ嫁に遣ろうと思って、師匠を家《うち》へ呼んで、読書《よみかき》から諸芸を仕込んだのだから、兎も角も理非の弁別がつくようになったんだが、随分金がかゝるから大抵の家では女にまでは行届《ゆきとゞ》きません、それに女という奴は嫁入りという大物入がありますからなア、物入と云やア娘も其の内何処かへ嫁に遣らなければなりませんが、其の時の箪笥《たんす》三重《みかさね》と用箪笥を親方に願いたい、何卒《どうか》心懸けて木の良《い》いのを見付けてください」
 長「畏《かしこ》まりましたが、先達《せんだっ》て職人の兼という奴が、鑿《のみ》で足の拇指《おやゆび》を突切《つッき》った傷が破傷風《はしょうふう》にでもなりそうで、甚《ひど》く痛むと云いますから、相州の湯河原へ湯治にやろうと思いますが、病人を一人遣る訳にもいきませんから、私《わたくし》も幼《ちい》さい時怪我をした背中の旧傷《ふるきず》が暑さ寒さに悩みますので、一緒に行って序《つい》でに湯治をして来ようと思いますので、お急ぎではどうも」
 助「いゝや今が今というのではありません、行儀を覚えさせるため来月お出入|邸《やしき》の筒井様の奥へ御奉公にあげる積りですから、娘《これ》が下《さが》るまでゞ宜《い》いんです」
 長「そんなら拵えましょう」
 助「湯河原は打撲《うちみ》と金瘡《きりきず》には能《い》いというから、緩《ゆっく》り湯治をなさるが宜《い》い、就《つい》てはこの仏壇の作料を上げましょう、幾許《いくら》あげたらよいね」
 長「左様……別段の御注文でしたから思召《おぼしめし》に適《かな》うように拵えましたので、思ったより手間がかゝりましたが……百両で宜《よ》うございます」
 其の頃の百両と申す金は当節の千両にも向う大金で、如何に念入でも一個《ひとつ》の仏壇の細工料が百両とは余り法外でございますから、助七は恟《びっく》りして、何《なん》にも云わず、暫く長二の顔を見詰めて居りました。

        五

 助七は仏壇の細工は十分心に適って丈夫そうには出来たが、百両の手間がかゝったとは思えません、これは己が余り褒めすぎたのに附込んで、己の家《うち》が金持だから法外の事をいうのであろう、扨《さて》は此奴《こいつ》は潔白な気性だと思いの外《ほか》、卑しい了簡の奴だなと腹が立ちましたから、
 助「おい親方、この仏壇の板は此方《こっち》から出したのだよ、百両とはお前間違いではないか」
 長「へい、板を戴いた事ア知っています、何も間違いではございません」
 助「是だけの手間が百両とは少し法外ではないか」
 長「そう思召しましょうが、それだけ手間がかゝったのです、百両出せないと仰しゃるなら宜うがす元の通りの板をお返し申しますから仏壇は持って帰ります……素人衆には分りますまいよ」
 と云いながら仏壇を持ちて帰ろうといたしますから、助七が押留《おしと》めまして、
 助「親方、まア待ちなさい、素人に分らないというが、百両という価値《ねうち》の細工が何処にあるのだえ」
 長「はい……旦那御注文の時何と仰しゃいました、この仏壇は大切の品だから、火事などで持出す時、他の物が打付《ぶッつか》っても、又|落《おっ》ことしても毀《こわ》れないようにしたいが、丈夫一式で見てくれが拙《まず》くっては困ると仰しゃったではございませんか、随分無理な注文ですが、出来ない事はありませんから、釘一本|他手《ひとで》にかけず一生懸命に精神《たましい》を入れて、漸々《よう/\》御注文通りに拵え上げ
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