が礼記の講釈で復讐《ふくしゅう》という折紙を付けられました珍らしい裁判で、一層名高くなったので、清兵衞達の喜びはいうまでもなく、坂倉屋助七も大《おおき》に喜び、或日筒井侯のお邸《やしき》へ伺いますと、殿様が先日腰元島路の申した口上もあれば、今は職人でない長二郎ゆえ、島路を彼方《かれかた》へ遣わしては如何《いかゞ》との仰せに助七は願うところと速《すみや》かに媒酌を設け、龜甲屋方へ婚姻の儀を申入れました処、長二郎も喜んで承知いたしたので、文政五|午年《うまどし》三月|一日《いちにち》に婚礼を執行《とりおこな》い、夫婦|睦《むつま》じく豊かに相暮しましたが、夫婦の間に子が出来ませんので、養子を致して、長二郎の半之助は根岸へ隠居して、弘化《こうか》二|巳年《みどし》の九月|二日《ふつか》に五十三歳で死去いたしました。墓は孝徳院長譽義秀居士《こうとくいんちょうよぎしゅうこじ》と題して、谷中の天竜寺に残ってございます。
底本:「圓朝全集 巻の九」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1964(昭和39)年2月10日発行
底本の親本:「圓朝全集 巻の九」春陽堂
1927(昭和2)年8月1
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