なく親父が死んだものですから、母親《おふくろ》が貧乏の中で私を育ったので、三度の飯さえ碌に喰わない程でしたから、子供心に早く母親の手助けを仕ようと思って、十歳《とお》の時清兵衛親方の弟子になったのですが、母親も私が十七の時死んでしまったのです」
と涙ぐんで話しますから、幸兵衛夫婦も其の孝心の厚いのに感じた様子で、
柳「お前さんのような心がけの良い方が、何うしてまア其様《そんな》に不仕合《ふしあわせ》だろう、お母さんをもう少し生かして置きたかったねえ」
長「へい、もう五年生きていてくれると、育ってくれた恩返《おんげえ》しも出来たんですが、まゝにならないもんです」
と鼻をすゝって握拳《にぎりこぶし》で涙を拭きます心を察してか、お柳も涙ぐみまして、
柳「お察し申します、お前さんのように親思いではお父さんやお母さんに早く別れて、孝行の出来なかったのはさぞ残念でございましょう」
長「へい左様《そう》です、世間で生《うみ》の親より養い親の恩は重いと云いますから、猶残念です」
柳「へえー、そんならお前さんの親御は本当の親御さんではないの」
と問われたので、長二はとんだ事を云ったと気がつきましたが、今さら取返しがつきませんから。
長「へい左様《さよう》……私《わたくし》の親は……へい本当の親ではごぜいません、私を助けて、いゝえ私を養ってくれた親でございます」
幸「はて、それでは親方は養子に貰われて来たので、本当の親御達はまだ達者かね」
長「其様《そん》な訳じゃアございませんから」
幸「そんなら里っ子ながれとでもいうのかね」
長「いゝえ、左様《そう》でもございません」
幸「どうしたのか訳が分らない」
長「へい、此の事は是まで他《ひと》に云った事アございませんから、どうもヘイ私《わたくし》の恥ですから誠に」
柳「親方何だね、お前さんの心掛が宜《い》いというので、旦那が此様《こんな》に可愛がって、お前さんの為になるように心配してくださるのだから、話したって宜いじゃアないかね」
幸「どんな事か知らないが、次第によっちゃア及ばずながら力にもなろうから、話して聞かしなさい、決して他言はしないから」
長「へい、そう御親切に仰しゃってくださるならお話をいたしましょうが、何卒《どうぞ》内々《ない/\》に願います………実ア私《わたくし》ア棄児です」
柳「お前さんがエ」
長「へい、私《わたくし》の実の親ほど」
と云いかけて実親《じつおや》の無慈悲を思うも臓腑《はらわた》が沸《にえ》かえるほど忌々《いま/\》しく恨めしいので、唇が痙攣《ひきつ》り、烟管《きせる》を持った手がぶる/″\顫《ふる》えますから、お柳は心配気に長二の顔を見詰めました。
柳「本当の親御達が何うしたのだえ」
長「へい私《わたくし》の実の親達ほど酷《むご》い奴は凡《およ》そ世界にございますめえ」
とさも口惜《くやし》そうに申しますと、お柳は胸の辺《あたり》でひどく動悸《どうき》でもいたすような慄《ふる》え声で、
柳「何故だえ」
長「何故どころの事《こっ》ちゃアございません、私《わたくし》の生れた年ですから二十九年|前《めえ》の事です、私を温泉のある相州の湯河原の山ん中へ打棄《うっちゃ》ったんです、只打棄るのア世間に幾許《いくら》もございやすが、猫の死んだんでも打棄るように藪ん中へおッ投込《ぽりこ》んだんと見えて、竹の切株が私《わっち》の背中へずぶり突通《つッとお》ったんです、それを長左衛門という村の者が拾い上げて、温泉で療治をしてくれたんで、漸々《よう/\》助かったのですが、其の時の傷ア……失礼だが御覧なせい、こん通りポカンと穴になってます」
と片肌を脱いで見せると、幸兵衞夫婦は左右から長二の背中を覘《のぞ》いて、互に顔を見合せると、お柳は忽《たちま》ち真蒼《まっさお》になって、苦しそうに両手を帯の間へ挿入《さしい》れ、鳩尾《むなさき》を強く圧《お》す様子でありましたが、圧《おさ》えきれぬか、アーといいながら其の場へ倒れたまゝ、悶え苦《くるし》みますので、長二はお柳が先刻《さっき》からの様子と云い、今の有様を見て、さては此の女が己を生んだ実の母に相違あるまいと思いました。
十六
其の時の男というは此の幸兵衛か、但《たゞ》しは幸兵衛は正しい旦那で、奸夫《かんぷ》は他の者であったか、其の辺の疑いもありますから、篤《とく》と探索した上で仕様があると思いかえして、何気なく肌を入れまして、
長「こりゃとんだ詰らないお話をいたしまして、まことに失礼を……急ぎの仕事もございますからお暇《いとま》にいたします」
幸「まア宜《い》いじゃアないか、種々《いろ/\》聞きたい事もあるから、今夜泊ってはどうだえ」
長「へい、有難うございますが
前へ
次へ
全42ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング