て届けに行ったら、先刻《さっき》取りにやったと云ったが、また此様《こん》な土産物をよこしたのか、気の毒な、何だ橋本の料理か、兼又|一杯《いっぺい》飲めるぜ」
兼「ありがてえ、毎日《めえにち》斯ういう塩梅《あんべえ》に貰《もれ》え物があると世話が無《ね》えが、昨日のは喰いながらも心配だッた」
長「何も其様《そん》な思いをして喰うにア及ばない、全体《ぜんてい》手前《てめえ》は意地がきたねえ、衣食住と云ってな着物と食物《くいもの》と家《うち》の三つア身分相応というものがあると、天竜院の方丈様が云った、職人ふぜいで毎日《めえにち》店屋《てんや》の料理なんぞを喰っちア罰《ばち》があたるア、貰った物にしろ毎日こんな物を喰っちア口が驕《おご》って来て、まずい物が喰えなくなるから、実ア有がた迷惑だ、職人でも芸人でも金持に贔屓にされるア宜《い》いが、見よう見真似で万事贅沢になって、気位《きぐらい》まで金持を気取って、他の者を見くびるようになるから、己《おら》ア金持と交際《つきあ》うことア大嫌《でえきれ》えだ、龜甲屋の旦那が来い/\というが、今まで一度も行かなかったが、忘れて行ったものを黙って置いちゃア気が済まねえから、持って云って投《ほう》り込んで来たが、柳島の宅《うち》ア素的《すてき》に立派なもんだ、屋敷稼業というものア、泥坊のような商売《しょうべえ》と見える、そんな人のくれたものア喰っても旨くねえ、手前《てめえ》喰うなら皆《みん》な喰いねえ、己ア天麩羅でも買って喰うから」
と雇いの婆さんに天麩羅を買わせて茶漬を喰いますから、兼松も快よく其の料理を喰うことは出来ません。婆さんと二人で少しばかり喰って、残りを近所に住んでいる貧乏な病人に施すという塩梅で、万事並の職人とは心立《こゝろだて》が異《ちが》って居ります。
十五
長二は母の年回《ねんかい》の法事に、天竜院で龜甲屋幸兵衛に面会してから、格外の贔屓を受けていろ/\注文物があって、多分の手間料を貰いますから、活計向《くらしむき》も豊になりましたので、予《かね》ての心願どおり、思うまゝに貧窮人に施す事が出来るようになりましたのは、全く両親が草葉の蔭から助けてくれるのであろうと、益々両親の菩提[#「菩提」は底本では「菩堤」と誤記]《ぼだい》を弔うにつきましては、愈々《いよ/\》実《まこと》の両親の無慈悲を恨み、寐ても覚めても養い親の大恩と、実の親の不実を思わぬ時はございません。さて其の夏も過ぎ秋も末になりまして、龜甲屋から柳島の別荘の新座敷の地袋に合わして、唐木《からき》の書棚を拵えてくれとの注文がありました。前にも申しました通り、長二はお柳が置忘れた紙入を届けに行ったきり、是まで一度も龜甲屋へ参った事はございませんが、今度の注文物は其の地袋の摸様《もよう》を見なければ寸法其の外の工合《ぐあい》が分りませんので、余儀なく九月廿八日に自身で柳島へ出かけますと、折よく幸兵衞が来ておりまして、お柳と共に大喜びで、長二を座敷へ通しました。長二は地袋の摸様を見て直《すぐ》に帰るつもりでしたが、夫婦が種々《いろ/\》の話を仕かけますので、迷惑ながら尻を落付けて挨拶をして居るうちに、橋本の料理が出ました。
幸「親方……何にもないが、初めてだから一杯やっておくれ」
長「こりゃアお気の毒さまな、私《わたくし》ア酒は嫌いですから」
柳「そうでもあろうが、私がお酌をするから」
長「へい/\これは誠にどうも」
幸「酒は嫌いだというから無理に侑《すゝ》めなさんな、親方肴でもたべておくれ」
長「へい、こんな結構な物ア喰った事アございませんから」
幸「だッて親方のような伎倆《うでまえ》で、親方のように稼いでは随分儲かるだろうから、旨い物には飽きて居なさろう」
長「どう致しまして、儲かるわけにはいきません、皆《みん》な手間のかゝる仕事ですから、高い手間を戴きましても、一日《いちんち》に割ってみると何程にもなりやしませんから、なか/\旨い物なんぞ喰う事ア出来ません」
幸「左様《そう》じゃアあるまい、人の噂に親方は貧乏人に施しをするのが好きだという事だから、それで銭が持てないのだろう、何ういう心願かア知らないが、若いにしちア感心だ」
長「人は何《なん》てえか知りませんが、施しといやア大業《おおぎょう》です、私《わたくし》ア少《ちい》さい時分貧乏でしたから、貧乏人を見ると昔を思い出して、気の毒になるので、持合せの銭をやった事がございますから、そんな事を云うんでしょう」
柳「長さん、お前|少《ちい》さい時貧乏だッたとお云いだが、お父《とっ》さんやお母《っか》さんは何商売だったね」
長「元は田舎の百姓で私《わたくし》の少さい時|江戸《こっち》へ出て来て、荒物屋を始めると火事で焼けて、間も
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