」
と蕎麦を少し摘《つま》んで喰ってみて、
兼「そんなに馬鹿にしたものじゃアねえ、中々|旨《うめ》え……兄い喰ってみねえ……おゝ婆さん、お燗《かん》が出来たか」
婆「大きに手間取りやした、お酌をしますかえ」
兼「一杯《いっぺい》頼もうか……婆さんなか/\お酌が上手だね」
婆「上手にもなるだア、若《わけ》い時から此家《こっち》でお客の相手えしたからよ」
兼「だってお前今日初めて見かけたのだぜ」
婆「左様《そう》だがね、私《わし》イ三十の時から此家《こっち》へ奉公して、六年|前《ぜん》に近所へ世帯《しょたい》を持ったのだが、忙《せわ》しねえ時ア斯うして毎度《めいど》手伝に来るのさ、一昨日《おとつい》おせゆッ娘《こ》が塩梅《あんべい》がわりいって城堀《しろほり》へ帰《けえ》ったから、当分|手伝《てつで》えに来たのさ」
兼「ムヽ左様《そう》かえ、そうして婆さんお前《めえ》年は幾歳《いくつ》だえ」
婆「もうはア五十八になりやす」
兼「兄い、田舎の人は達者だねえ」
長「どうしても体に骨を折って欲がねえから、苦労が寡《すくね》いせいだ」
婆「お前《めえ》さん方は江戸かえ」
長「そうだ」
婆「江戸から来ちゃア不自由な処だってねえ」
長「不自由だが湯の利くのには驚いたよ」
婆「左様《そう》かねえ、お前《めえ》さん方の病気は何《なん》だね」
兼「己《おれ》のア是だ、この拇指《おやゆび》を鑿《のみ》で打切《ぶッき》ったのだ」
婆「へえー怖《おっか》ねいこんだ、石鑿は重いてえからねえ」
兼「己《おら》ア石屋じゃアねえ」
婆「そんなら何《なん》だね」
兼「指物師よ」
婆「指物とア…ムヽ箱を拵《こせ》えるのだね、…不器用なこんだ、箱を拵える位《ぐれ》えで足い鑿い打貫《ぶっとお》すとア」
長「兼公一本まいったなア、ハヽヽ」
婆「笑うけんど、お前《めえ》さんのも矢張《やっぱり》其の仲間かね」
長「己のは左様じゃアねえ、子供の時分の旧疵《ふるきず》だ」
婆「どうしたのだね」
長「どうしたのか己も知らねえ」
婆「そりゃア変なこんだ、自分の疵を当人が知らねいとは……矢張足かね」
長「いゝや、右の肩の下のところだ」
婆「背中かね……お前《めい》さん何歳《いくつ》の時だね」
長「それも知らねいのだが、この拇指の入《へえ》るくれえの穴がポカンと開《あ》いていて、暑さ寒さに痛んで困るのよ」
婆「へいー左様《そう》かねえ、孩児《ねゝっこ》の時そんな疵うでかしちゃアおっ死《ち》んでしまうだねえ、どうして癒ったかねえ」
長「どうして癒ったどころか、自分に見えねえから此様《こん》な疵のあるのも知らなかったのさ、九歳《こゝのつ》の夏のことだっけ、河へ泳ぎに行くと、友達が手前《てめえ》の背中にア穴が開いてると云って馬鹿にしやがったので、初めて疵のあるのを知ったのよ、それから宅《うち》へ帰《けえ》ってお母《ふくろ》に、何うして此様な穴があるのだ、友達が馬鹿にしていけねえから何うかしてくれろと無理をいうと、お母が涙ぐんでノ、その疵の事を云われると胸が痛くなるから云ってくれるな、他《ひと》に其の疵を見せめえと思って裸体《はだか》で外へ出したことのねえに、何故泳ぎに行ったのだと云って泣くから、己もそれっきりにしておいたから、到頭分らずじまいになってしまったのよ」
という話を聞きながら、婆さんは長二の顔をしげ/\と見詰めておりました。
八
婆「はてね……お前《めえ》さんの母様《かゝさま》というは江戸者かねえ」
長「何故だえ」
婆「些《ち》と思い出した事があるからねえ」
長「フム、己の親は江戸者じゃアねえが、何処《どこ》の田舎だか己《おら》ア知らねえ、何でも己《おれ》が五歳《いつゝ》の時田舎から出て、神田の三河町へ荒物|店《みせ》を出すと間もなく、寛政九年の二月だと聞いているが、其の時の火事に全焼《まるやけ》になって、其の暮に父《とっ》さんが死んだから、お母《ふくろ》が貧乏の中で丹誠して、己が十歳《とお》になるまで育ってくれたから、職を覚えてお母に安心させようと思って、清兵衞親方という指物師の弟子になったのだ」
婆「左様《そう》かねえ、それじゃア若《も》しかお前《めえ》さんの母様はおさなさんと云わねいかねえ」
長「あゝ左様だ、おさなと云ったよ」
婆「父様《とっさま》はえ」
長「父《とっ》さんは長左衛門《ちょうざえもん》さ」
婆「アレエ魂消《たまげ》たねえ、お前《めえ》さん……長左衛門殿の拾児《ひろいッこ》の二助どんけえ」
長「何だと己が拾児だと、何ういうわけでお前《めえ》そんな事を」
婆「知らなくってねえ、此の土地の棄児《すてご》だものを」
長「そんなら己は此の湯河原へ棄てられた者だと
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