いうのかえ」
 婆「そうさ、此の先の山を些《ちっ》と登ると、小滝の落ちてる処があるだ、其処《そこ》の蘆《あし》ッ株の中へ棄てられていたのだ、背中の疵が証拠だアシ」
 兼「これは妙だ、何処《どこ》に知ってる者があるか分らねえものだなア」
 長「こりゃア思いがけねえ事だ……そんなら婆さんお前《めえ》己の親父やお母を知ってるかね」
 婆「知ってるどころじゃアねい」
 長「そうして己の棄てられたわけも」
 婆「ハア根こそげ知ってるだア」
 長「左様《そう》かえ……そんなら少し待ってくんな」
 と長二は此の先婆さんが如何様《いかよう》のことを云出すやも分らず、次第によっては実《まこと》の両親の身の上、又は自分の恥になることを襖越しの相客などに聞かれては不都合と思いましたから、廊下へ出て様子を窺《うかゞ》いますと、隣座敷の客達は皆《みん》な遊びに出て留守ですから、安心をして自分の座敷に立戻り、何程かの金子を紙に包んで、
 長「婆さん、こりゃア少ねえがお前《めえ》に上げるから煙草でも買いなさい」
 婆「これはマアでかくお貰い申してお気の毒なこんだ」
 長「其の代り今の話を委《くわ》しく聞かしてください、他《ひと》に聞えると困るから、小さな声でお願いだよ」
 婆「何を困るか知んねいが、湯河原じゃア知らねい者は無《ね》いだけんどね、私《わし》イ一番よく知ってるというのア、その孩児《ねゝっこ》……今じゃア此様《こん》なに大《でか》くなってるが、生れたばかりのお前《めえ》さんを苛《むご》くしたのを、私イ眼の前に見たのだから」
 長「そんならお前《めえ》、己の実《ほんと》の親達も知ってるのか、何処の何《なん》という人だえ」
 婆「何処の人か知んねえが、私《わし》が此家《こっち》へ奉公に来た翌年《あくるとし》の事《こん》だから、私がハア三十一の時だ、左様すると……二十七八年|前《めえ》のこんだ、何でも二月の初《はじめ》だった、孩児を連れた夫婦の客人が来て、離家《はなれ》に泊って、三日ばかりいたのサ、私イ孩児の世話アして草臥《くたび》れたから、次の間に打倒《うちたお》れて寝てしまって、夜半《よなか》に眼イ覚《さま》すと、夫婦喧嘩がはだかって居るのサ、女の方で云うには、好《い》い塩梅《あんべい》に云いくるめて、旦那に押《おっ》かぶして置いたが、此の児《こ》はお前《めい》さんの胤《たね》に違《ちげ》い無《ね》いというと、男の方では月イ勘定すると一月《ひとつき》違うから己の児じゃア無《ね》い、顔まで好《よ》く彼奴《あいつ》に似ていると云うと、女は腹ア立って、一月ぐれえは勘定を間違《まちげ》える事もあるもんだ、お前《めえ》のように実《じつ》の無《ね》いことを云われちゃア苦労をした効《けい》がねい、私《わし》イもう彼《あ》の家《うち》に居ねい了簡だから、此の児はお前《めえ》の勝手にしたが宜《え》えと孩児を男の方へ打投《ぶんな》げたと見えて、孩児が啼《な》くだアね、其の声で何を云ってるか聞えなかったが、何でも男の方も腹ア立って、また孩児を女の方へ投返すと、女がまた打投げたと見えてドッシン/\と音がアして、果《はて》にア孩児の声も出なくなって、死ぬだんべいと思ったが、外の事《こッ》てねえから魂消ているうち、ぐず/\口小言を云いながら夫婦とも眠《ね》てしまった様子だったが、翌日《あくるひ》の騒ぎが大変さ」
 長「フム、どういう騒ぎだッたね」
 婆「これからお前《めえ》さんの背中の穴の話になるんだが、此の前《めえ》江戸から来た何《なん》とか云った落語家《はなしか》のように、こけえらで一節《ひときり》休むんだ、喉《のど》が乾いてなんねいから」
 兼「婆さん、なか/\旨《うめ》えもんだ、サアこゝへ茶を注《つ》いで置いたぜ」
 婆「ハアこれは御馳走さま……一息ついて直《すぐ》に後《あと》を話しますべい」

        九

 兼「婆さん、それから何うしたんだ、早く話してくんなせえ」
 婆「ハア、それからだ、其の翌日《あくるひ》の七時《なゝつさがり》であったがね、吉浜にいる知合《しりえい》を尋ねて復《また》帰《けえ》って来るから、荷物は預けて置くが、初めて来たのだからと云って、勘定をして二人が出て行ったサ、其の日長左衛門|殿《どん》が山へ箱根竹《はこねだけ》イ芟《き》りに行って、日暮《ひくれ》に下りて来ると、山の下で孩児の啼声《なきごえ》がするから、魂消て行って見ると、沢の岸の、茅《かや》だの竹の生《へ》えている中に孩児が火の付いたように啼いてるから、何うしたんかと抱上げて見ると、どうだんべい、可愛そうに竹の切株《きッかぶ》が孩児の肩のところへ突刺《つッさゝ》っていたんだ、これじゃア大人でも泣かずにゃア居られねい、打捨《うちゃっ》て置こうもんならおッ死《ち》んでしまうから、長
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