出したり、炭を焼いたり、種々《しゅ/″\》の山稼ぎをいたして活計《くらし》を立っている様子です。此の所から小田原まで五里十九丁、熱海まで二里半|余《よ》で、何《いず》れへまいるのにも路《みち》は宜しくございませんが、温泉のあるお蔭で年中旅客が絶えず、中々繁昌をいたします。さて長二と兼松は温泉宿藤屋に逗留して、二週《ふたまわり》ほど湯治をいたしたので、忽《たちま》ち効験《きゝめ》が顕《あら》われて、両人とも疵所《きずしょ》の疼《いた》みが薄らぎましたから、少し退屈の気味で、
兼「長《ちょう》兄い……不思議だな、一昨日《おとゝい》あたりからズキ/\する疼みが失《なくな》ってしまった、能く利く湯だなア」
長「それだから此様《こん》な山ん中へ来る人があるんだ」
兼「本当に左様《そう》だ、怪我でもしなけりゃア来る処じゃアねえ、此処《こけ》え来て見ると怪我人もあるもんだなア」
長「ムヽ、伊豆|相模《さがみ》は石山が多いから、石切職人《いしきりじょくにん》が始終怪我をするそうだ、見ねえ来ている奴ア大抵石切だ、どんな怪我でも一週《ひとまわり》か二週で癒《なお》るということだが、好《い》い塩梅にしたもんじゃアねえか、そういう怪我を度々《たび/\》する処にゃア、斯ういう温泉が湧くてえのは」
兼「それが天道《てんとう》人を殺さずというのだ、世界《せけえ》の事ア皆《み》んな其様《そん》な塩梅《あんべい》に都合よくなってるんだけれど、人間というお世話やきが出てごちゃまかして面倒くさくしてしまッたんだ」
長「旨い事を知ってるなア、感心だ」
兼「旨いと云やア、それ此処《こけ》え来る時、船から上って、ソレ休んだ処《とこ》ア何《なん》とか云ったっけ」
長「浜辺の好《い》い景色の処《ところ》か」
兼「左様《そう》よ」
長「ありゃア吉浜という処よ」
兼「それから飯を喰った家《うち》は何とか云ったッけ」
長「橋本屋よ」
兼「ムヽ橋本屋だ、彼家《あすこ》で喰った※[#「魚へん+君」、21−6]《めばる》の煮肴《にざかな》は素的《すてき》に旨かったなア」
長「魚が新らしいのに、船で臭《くせ》え飯を喰った挙句《あげく》だったからよ」
兼「そうかア知らねいが、今に忘れられねえ、全体《ぜんてい》此辺《こけいら》は浜方《はまかた》が近いにしちゃア魚が少ねえ、鯛に比目魚《ひらめ》か※[#「魚へん+君」、21−8]《めばる》に※[#「「陸」の「こざとへん」に代えて「魚」」、第3水準1−94−44]《むつ》、それでなけりゃア方頭魚《あまでい》と毎日の御馳走が極っているのに、料理|方《かた》がいろ/\して喰わせるのが上手だぜ」
長「そういうと豪気《ごうぎ》に宅《うち》で奢ってるようだが、水洟《みずッぱな》をまぜてこせえた婆さんの惣菜《そうざい》よりア旨かろう」
兼「そりゃア知れた事だが、湯治とか何とか云やア贅沢が出るもんだ」
長「贅沢と云やア雉子《きじ》の打《うち》たてだの、山鳩や鵯《ひよどり》は江戸じゃア喰えねえ、此間《こねえだ》のア旨かったろう」
兼「ムヽあれか、ありゃア旨かった、それに彼《あ》の時喰った大根《でいこ》さ、此方《こっち》の大根は甘味があって旨《うめ》え、それに沢庵もおつだ、細くって小せえが、甘味のあるのは別だ、自然薯《じねんじょ》も本場だ、こんな話をすると何《なん》か喰いたくなって堪らねえ」
長「よく喰いたがる男だ、折角疵が癒りかけたのに油濃《あぶらッこ》い物を喰っちゃア悪いよ」
兼「毒になるものア喰やアしねいが、退屈だから喰う事より外ア楽《たのし》みがねえ……蕎麦粉の良《い》いのがあるから打ってもらおうか」
長「己《おら》ア喰いたくねえが、少し相伴《つきあ》おうよ」
兼「そりゃア有難い」
と兼松が女中を呼んで蕎麦の注文を致します。馴れたもので程なく打あげて、見なれない婆さんが二階へ持ってまいりました。
七
兼「こりゃア早い、いや大きに御苦労……兄い一杯《いっぺい》やるか」
長「己《おら》ア飲まないが、手前《てめえ》一本やんない」
兼「そんなら婆さん、酒を一合つけて来てくんねえ」
婆「はい、下物《さかな》はどうだね」
兼「何があるえ」
婆「鯛《たえ》と鶏卵《たまご》の汁《つゆ》があるがね」
兼「それじゃア鯛《たい》の塩焼に鶏卵の汁を二人前《ふたりまえ》くんねえ」
婆「はい、直《すぐ》に持って来やす」
と婆さんは下へ降りてまいりました。
長「兼公《かねこう》見なれねえ婆さんだなア」
兼「宅《うち》の婆さんよりア穢《きた》ねえようだ、あの婆さんの打った蕎麦だと醤汁《したじ》はいらねいぜ」
長「なぜ」
兼「だって水洟《みずッぱな》で塩気がたっぷりだから」
長「穢ねいことをいうぜ
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